さんが窮《こま》って来たら、『窮るなら散々御窮りなさい……よく御考えなさい……是処《ここ》は貴方の家じゃ有りません』ッて。もし真実《ほんとう》に達雄さんの眼が覚《さ》めて、『乃公《おれ》はワルかった』と言って詫《わ》びて来る日が有りましたら、その時は主人公の席を設けて、そこで始めて旦那を迎えたら可いでしょうッて――」
幸作は深い溜息《ためいき》を吐《つ》いた。
「実に妙なものです。ここは私も一つ蹈張《ふんば》らんけりゃ不可《いかん》、と思って、大御新造の前では強いことを言っていますが……時々私は夢を見ます。大旦那が大黒柱に倚凭《よりかか》って、私のことを『幸作!』と呼んでいるような――あんなヒドイ目に逢いながら、私はよくそういう夢を見ます。すると、眼が覚めた後で、私はどんな無理なことでも聞かなければ成らないような気がします……」
こう話しているところへ、お雪が湯から帰って来た。三吉は妻の方を見て、
「オイ、幸作さんから橋本の薬を頂いたぜ」
「毎度子供の持薬に頂かせております」
とお雪は湯上りのすこし逆上《のぼ》せたような眼付をして、礼を言った。
幸作の話は若旦那のことに移った。小金の噂《うわさ》が出た。彼は正太の身の上をも深く案じ顔に見えた。
「実は御新造さんから手紙が来て、相談したいことが有ると言うもんですから、それで私も名古屋の方から廻って来ました」
「へえ、その為に君は出て来たんですか。そんなに大騒ぎしなくても可いことでしょう。豊世さんもあんまり気を揉《も》み過ぎる」
「何ですか心配なような手紙でしたから、大御新造には内証で」
「そう突《つッつ》き散《ち》らかすと、反《かえ》っていけませんよ」
その晩、幸作は若旦那の家の方へ寝に行った。
復たポカポカする季節に成った。三吉が家から二つばかり横町を隔てた河岸《かし》のところには、黄緑《きみどり》な柳の花が垂下った。石垣《いしがき》の下は、荷舟なぞの碇泊《ていはく》する河口で、濁った黒ずんだ水が電車の通る橋の下の方から春らしい欠伸《あくび》をしながら流れて来た。
この季節から、お菊やお房の死んだ時分へかけて、毎年のように三吉は頭脳《あたま》が病めた。子を失うまでは彼もこんな傷《いた》みを知らなかったのである。半ば病人のような眼付をして、彼は柳並木の下を往《い》ったり来たりした。白壁にあたる温暖《あ
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