れが僕によく解らなかったんです。Sさんとは何事《なんに》も君、お互に感情を害したようなことが無いんだからネ。不思議でしょう。実は、此頃《こないだ》、ある友達の許《ところ》へ寄ったところが、『小泉君――Sさんが君のことをモルモットだと言っていましたぜ』こう言いますから、『モルモットとは何だい』と僕が聞いたら、大学の試験室へ行くと医者が注射をして、種々な試験をするでしょう。友達がモルモットで、僕が医者だそうだ――」
 正太は噴飯《ふきだ》した。
「まあ、聞給え。考えて見ると、成程《なるほど》Sさんの言うことが真実《ほんとう》だ。知らず知らず僕はその医者に成っていたんだネ。傍に立って、知ろう知ろうとして、観《み》ていられて見給え――好い心地《こころもち》はしないや。何となくSさんが遠く成ったのは、始めて僕に解って来た……」
 復た正太は笑った。
「しかし、正太さん、僕は唯――偶然に――そんな医者に成った訳でも無いんです。よく物を観よう、それで僕はもう一度この世の中を見直そうと掛ったんです。研究、研究でネ。これがそもそも他《ひと》を苦しめたり、自分でも苦しんだりする原因なんです……しかし、君、人間は一度|可恐《おそろ》しい目に逢着《でっくわ》してみ給え、いろいろなことを考えるように成るよ……子供が死んでから、僕は研究なんてことにもそう重きを置かなく成った……」
 明るい二階で、日あたりを描いた額の画の上に、日があたった。春蚕《はるご》の済んだ後で、刈取られた桑畠《くわばたけ》に新芽の出たさま、林檎《りんご》の影が庭にあるさまなど、玻璃《ガラス》越《ご》しに光った。お雪は階下《した》から上って来た。
「父さん、障子が張れましたネ」
「その額を御覧、正太さんがああいう風に掛けて下すった」
「真実《ほんと》に、正太さんはこういうことが御上手なんですねえ」
 とお雪は額の前に立って、それから縁側のところへ出てみた。
「叔母さん、御覧なさい」
 と正太も立って行って、何となく江戸の残った、古風な町々に続く家の屋根、狭い往来を通る人々の風俗などを、叔母に指してみせた。


 塩瀬というが正太の通う仲買店であった。その店に縁故の深い人の世話で、叔父の三吉にも身元保証の判を捺《つ》かせ、当分は見習かたがた外廻りの方をやっていた。正太に比べると、榊の方は店も大きく、世話する人も好く、とにかく
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