に見えてる……」
「先ずそういうことに成って行きそうですナ」
「そこですよ、私が心配して遣《や》るのは。旦那もネ、橋本の家で生れた人ですから、何卒《どうか》して私は……あの家で死なして遣りたくてサ」
喧嘩《けんか》でもしたか、子供が泣出した。お種は三吉の傍を離れて、子供の方へ行った。
幼い子供達は間もなくお種に取って、離れがたいほど可愛いものと成った。肩へ捉《つか》まらせるやら、萎《しな》びた乳房を弄《なぶ》らせるやら、そんな風にして付纏《つきまと》われるうちにも、何となくお種は女らしい満足を感じた。夫に捨てられた悲哀《かなしみ》も、いくらか慰められて行った。
炉辺に近い食卓の前には、お房とお菊とが並んで坐った。伯母は二人に麦香煎《むぎこがし》を宛行《あてが》った。お房は附木《つけぎ》で甘そうに嘗《な》めたが妹の方はどうかすると茶椀《ちゃわん》を傾《かし》げた。
「菊ちゃん、お出し」と言って、お種は妹娘《いもうと》の分だけ湯に溶かして、「どれ、着物《おべべ》がババく成ると不可《いけな》いから、伯母さんが養って進《あ》げる」
子供にアーンと口を開かせる積りで、思わず伯母は自分の口を開いた。
「ああ、オイシかった」とお房は香煎《こがし》の附いた口端を舐め廻した。
「房ちゃんも菊ちゃんも頂いて了ったら、すこし裏の方へ行って遊んで来るんですよ。母さんが何していらっしゃるか、見てお出なさい――母さんは御洗濯かナ」
「伯母さん、復た遊びましょう」とお房が言った。
「ええ、後で」とお種は笑って見せた。「伯母さんは父さんの許《とこ》で御話して来るで――」
子供は出て行った。
三吉はその年の春頃から長い骨の折れる仕事を思立っていた。学校の余暇には、裏の畠へも出ないで、机に向っていた。好きな野菜も、稀《たま》に学校の小使が鍬《くわ》を担《かつ》いで見廻りに来るに任せてある。
「三吉さん、御仕事ですか」とお種は煙草入を持って、奥の部屋へ行った。彼女は弟の仕事の邪魔をしても気の毒だという様子をした。
「まあ、御話しなさい」
こう答えて、弟は姉の方へ向いた。丁度お種も女の役の済むという年頃で、多羞《はずか》しい娘の時に差して来た潮が最早身体から引去りつつある。彼女は若い時のような忍耐力《こらえじょう》が無くなった。心細くばかりあった。
「妙なものだテ」とお種が言出した。この「妙なものだテ」は弟を笑わせた。その前置を言出すと、必《きっ》とお種は夫の噂を始めるから。
「旦那も来年は五十ですよ。その年に成っても、未だそんな気でいるとは。実に、ナサケないじゃ有りませんか……男というものは可恐《おそろ》しいものですネ……私が旦那の御酒に対手《あいて》でもして、歌の一つも歌うような女だったら好いのかも知れないけれど――三吉さん、時々私はそんな風に思うことも有りますよ」
苦笑《にがわらい》したお種の頬《ほお》には、涙が流れて来た。その時彼女は達雄が若い時に秀才と謳《うた》われたことや、国を出て夫が遊学する間彼女は家を預ったことや、その頃から最早夫の病気の始まったことなどを弟に語り聞せた。
「ある時なぞも――それは旦那が東京を引揚げてからのことですよ――復た病気が起ったと思いましたから、私が旦那の気を引いて見ました。『むむ、あの女か――あんな女は仕方が無い』なんて酷《ひど》く譏《けな》すじゃ有りませんか。どうでしょう、三吉さん、最早旦那が関係していたんですよ。女は旦那の種を宿しました。その時、私もネ、寧《いっ》そその児を引取って自分の子にして育てようかしら、と思ったり、ある時は又、みすみす私が傍に附いていながら、そんな女に子供まで出来たと言われては、世間へ恥かしい、いかに言ってもナサケないことだ、と考えたりしたんです。間もなく女は旦那の児を産落しました。月不足《つきたらず》で加《おまけ》に乳が無かったもんですから、満《まる》二月とはその児も生きていなかったそうですよ――しかし、旦那も正直な人サ――それは気分が優《やさし》いなんて――自分が悪かったと思うと、私の前へ手を突いて平謝《ひらあやま》りに謝る。私は腹が立つどころか、それを見るともう気の毒に成ってサ……ですから、今度だっても旦那が思い直して下さりさえすれば……ええええ、私は何処《どこ》までも旦那を信じているんですよ。豊世とも話したことですがネ。私達の誠意《まごころ》が届いたら、必《きっ》と阿父《おとっ》さんは帰って来て下さるだろうよッて……」
「伯母さん、お化粧《つくり》するの?」とお房は伯母の側へ来て覗《のぞ》いた。
「伯母さんだって、お化粧するわい――女で、お前さん、お化粧しないような者があらすか」
お雪や子供と一緒に町の湯から帰って来たお種は、自分の柳行李《やなぎごうり》の置いてある部屋へ入って、身じまいする道具を展《ひろ》げた。そこは以前書生の居た静かな部屋で、どうかすると三吉が仕事を持込むこともある。家中で一番引隠れた場処である。お種が大事にして旅へ持って来た鏡は、可成《かなり》大きな、厚手の玻璃《ガラス》であった。それに対《むか》って、サッパリと汗不知《あせしらず》でも附けようとすると、往時《むかし》小泉の老祖母《おばあさん》が六十余に成るまで身だしなみを忘れずに、毎日薄化粧したことなどが、昔風の婦人《おんな》の手本としてお種の胸に浮んだ。年のいかない芸者|風情《ふぜい》に大切な夫を奪去られたか……そんな遣瀬《やるせ》ないような心も起った。残酷なほど正直な鏡の中には、最早|凋落《ちょうらく》し尽くした女が映っていた。肉が衰えては、節操《みさお》も無意味で有るかのように……
頬の紅いお房の笑顔が、伯母の背後《うしろ》から、鏡の中へ入って来た。
「房ちゃん、お前さんにもお化粧《つくり》して進《あ》げましょう――オオ、オオ、お湯《ぶう》に入って好い色に成った」
と言われて、お房は日に焼けた子供らしい顔を伯母の方へ突出した。
やがてお種はお房を連れて、お雪の居る方へ行った。お雪も自分で束髪を直しているところであった。
「母さん」とお房は真白に塗られた頬を寄せて見せる。
「へえ、母さん、見てやって下さい――こんなに奇麗に成りましたよ」とお種が笑った。
「まあ……」とお雪も笑わずにいられなかった。「房ちゃんは色が黒いから、真実《ほんと》に可笑《おか》しい」
暫時《しばらく》、お種はそこに立って、お雪の方を眺めていたが、終《しまい》に堪え切れなくなったという風で、こう言出した。
「お雪さん、そんな田舎臭い束髪を……どれ、貸して見さっせ……私は豊世のを見て来たで、一つ東京風に結ってみて進《あ》げるに」
お房は大きな口を開きながら、家の中を歌って歩いた。
南の障子に近いところは、お雪が針仕事を展げる場所である。お種はお雪と相対《さしむかい》に坐って、余念もなく秋の仕度の手伝いをした。障子の側は明るくて、物を解いたり縫ったりするに好かった。
「菊ちゃん、伯母さんにその写真を見せとくれ――伯母さんは未だよく拝見しないのが有った」
お種は子供が取出した幾枚かの写真を受取った。お雪が生家《さと》の方の人達の面影《おもかげ》は順々に出て来た。
「お雪さん」とお種は勉の写真を取上げて、「この方がお福さんの旦那さんですか」
「ええ」
「三吉も、彼方《あちら》で皆さんに御目に掛って来たそうですが……やはりこの方は名倉さんの御養子の訳ですネ。商人は何処《どこ》か商人らしく撮《と》れてますこと」
こう言ってお種は眺めた。
「菊ちゃん、そんなに写真を玩具《おもちゃ》にするんじゃ有りませんよ」
と母に叱られても、子供は聞入れなかった。お種は針仕事を一切《ひときり》にして、前掛を払いながら起立《たちあが》った。
「さあ、房ちゃんも菊ちゃんも、伯母さんと一緒にいらっしゃい――復た御城跡の方へ行って見て来ましょう」
お種は帯を〆《しめ》直して、二人の子供を連れて出て行った。お雪の側には、そこに寝かしてあったお繁だけ残った。部屋の障子の開いたところから、何となく秋めいた空が見える。白いちぎれちぎれの雲が風に送られて通る。
「姉さんは?」と三吉が学校から帰って来て聞いた。
「散歩がてらオバコの実を採りにいらっしゃいました――子供を連れて」
「そんな物をどうするんかネ」
「髪の薬に成さるとかッて――煎《せん》じて附けると、光沢《つや》が出るんだそうです――なんでも、伊東の方で聞いてらしったんでしょう」
三吉は小倉の行燈袴《あんどんばかま》を脱捨てて、濡縁《ぬれえん》のところへ足を投出した。
「それはそうと、姉さんは木曾《きそ》の方へ子供を一人連れて行きたがってるんだが――どうだネ、繁ちゃんを遣《や》ることにしては」
こんなことを夫が言出した。お雪は答えなかった。
「こう多勢じゃヤリキレない」と言って三吉はお繁の寝ている様子を眺めて、「姉さんに一人連れてって貰えば、吾儕《われわれ》の方でも大に助かるじゃないか……しきりに姉さんがそう言うんだ……」
「そんなことが出来るもんですか」とお雪は言葉に力を入れた。
三吉は嘆息して、「姉さんだっても寂しいんだろうサ……そりゃ、お前、正太さんには子供が無いから、あるいは長く傍に置きたいと言うかも知れないし、くれろと言うかも知れない。その時はその時サ。当分姉さんが繁ちゃんを借りて行って、育てて見たいと言うんだ。どうだネ、お前は――俺《おれ》は一人位貸して遣っても可いと思うんだが」
「貴方は遣る気でも、私は遣りません――そんなことが出来るか出来ないか考えてみて下さい――」
「預けたって、お前、別に心配なことは無いぜ。姉さんのことだから必《きっ》と大切にしてくれる」
「姉さんが何と仰《おっしゃ》っても――繁ちゃんは私の児です――」
姉が末の子供を郷里の方へ連れて行きたいという話は、三吉の方にあった。お雪は聞入れようともしなかった。
秋も深く成って、三吉の家ではめずらしく訪ねて来た正太を迎えた。正太は一寸上京した帰りがけに、汽車の順路を山の上の方へ取って、一夜を叔父の寓居《すまい》で送ろうとして立寄ったのであった。
奥の部屋では客と主人の混《まざ》り合った笑声が起った。お種は台所の方へ行ったり、吾子《わがこ》の側へ行ったりして、一つ処に沈着《おちつ》いていられないほど元気づいた。
「正太や――お前は母親《おっか》さんを連れてってくれられる人かや」
「いや、今度は途中で用達《ようたし》の都合も有りますからネ――母親さんの御迎には、いずれ近いうちに嘉助をよこす積りです」
「そんなら、それで可いが、一寸お前の都合を聞いて見たのさ。何も今度に限ったことは無いで……」
三吉を前に置いて、橋本親子はこんな言葉を換《かわ》した。漸《ようや》くお種は帰郷の日が近づいたことを知った。その喜悦《よろこび》を持って、復たお雪の方へ行った。
三吉と正太とは久し振で話した。この二人が木曾以来一度一緒に成ったのは、達雄の家出をしたという後であった。顔を合せる度に、二人は種々《さまざま》な感に打たれた。でも、正太は元気で、父の失敗を双肩に荷《にな》おうとする程の意気込を見せていた。
「正太さん。姉さんも余程|沈着《おちつ》いて来ましたろう。僕の家へ来たばかりの時分はどうも未だ調子が本当で無かった――僕が姉さんに、郷里《くに》へ帰ったら草鞋《わらじ》でも穿《は》いて、薬を売りに御出掛なさいなんて、そんな串談《じょうだん》を言ってるところです」
「そういう気分に成れると可《い》いんですけれど……然《しか》し、最早連れて帰っても大丈夫でしょう。母親さんが家へ行って見たら、定めし驚くことでしょうナア。なにしろ、私も手の着けようが有りませんから、一切を挙げ皆さんに宜敷《よろしく》頼む、持って行きたい物は持っておいでなさい――何もかもそこへ投出して了ったんです」
「その決心は容易でなかったろうネ」
「ところが、叔父さん、その為に漸く家の整理がつきました。そりゃあもう、襖《ふすま》に
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