とまた吾家《うち》の阿爺《おやじ》が喋舌《しゃべ》っていましょうよ。遠方から来た御客様をつかまえて、ああだとか、こうだとかッて――しかし、母親さんも御大抵じゃ有りませんね、御嫁さんの仕度から何から一人で御世話を成さるんじゃ……」
こう稲垣の細君が言うと、娘は母に倚凭《よりかか》りながら、結婚ということを想像してみるような眼付をしていた。
部屋々々の洋燈は静かに燃《とぼ》った。お倉は一つの洋燈の向うに見える丸蓋《まるがさ》の置洋燈の灯を眺めて、
「私なぞも小泉へ嫁《かたづ》いて来る時は――真実《ほんと》に、まあ、昔話のように成って了《しま》った――最早親の家にも別れるのかと思って、ちょっと敷居を跨《また》ぐと……貴方《あなた》、涙がボロボロと零《こぼ》れて……」
稲垣の細君も思出したように、「誰でもそうですよ、あんな哀《かな》しいことは有りませんよ」
「もう一度私もあんな涙を零してみたい――」とお杉も笑って、乾いた口唇を霑《うるお》すようにした。「アアアア、こんなお婆さんに成っちゃ終《おしまい》だ……年を拾うばかしで……」
「厭《いや》だよ、この娘《こ》は――ブルブル震えてサ」と稲
前へ
次へ
全293ページ中91ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング