風な軸に成って掛っている。鳥を飼う支那風の人物の画である。その質素な色彩《いろどり》といかにも余念なく餌をくれている人物の容子《ようす》とは、田舎にあった小泉の家に適《ふさ》わしいものである。
宗蔵は三吉が留守の間に書溜《かきた》めた和歌の草稿を取出して、それを弟の前に展《ひろ》げた。
「三吉さんとはすこし時代が違うが、僕はまた一夏かかって、こういうものを作りましたよ。一つ批評して貰おう。君は木曾のような涼しい処に居たから好いサ――僕のことを考えてみ給え、こんな蒸暑い座敷で、汗をダラダラ流して……今年の夏は苦しかったからね」
こう言って、自分の書いた歌を弟に読み聞かせた。三吉は、この兄の歌そのものより、箸《はし》も持てないような手で筆を持添えて、それを口に銜《くわ》えて、ぶるぶる震えてまでも猶《なお》腹《おなか》の中にあることを言表わそうとしたその労苦を思いやった。廃残の生涯とは言いながら、何か為《せ》ずには宗蔵もいられなかった。彼は病人に似合わない精力を有《も》っていた。手足は最早枯れかかって来ても、胴のあたりは大木の幹のように強かった。病気しても人一倍食うという宗蔵の憂愁《うれ
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