言うに及ばず、遠い村々の旦那《だんな》衆まで集って、町は人で埋められるのが例で、その熱狂した群集の気勢ばかりでも、静止《じっと》していられないような思をさせる。こういう時にも、お種は家を守るものと定《き》めて、それを自分の務めのように心得ていた。
 実家の父――小泉忠寛の名は、時につけ事に触れ、お種の胸に浮んだ。お種や三吉の生れた小泉の家は、橋本の家とは十里ほど離れて、丁度この谿谷《たに》の尽きようとするところに在《あ》った。その家でお種は娘の時代を送った。父の忠寛は体格の大きな、足袋《たび》も図無《ずな》しを穿《は》いた程の人で、よく肩が凝ると言っては、庭先に牡丹《ぼたん》の植えてある書院へ呼ばれて、そこでお種が叩かせられたもので、その間に父の教えたこと、話したことは、お種に取って長く忘れられないものと成った。そればかりではない、父は娘が手習の手本にまで、貞操の美しいことや、献身の女の徳であることや、隣の人までも愛せよということや、それから勤勉、克己、倹約、誠実、篤行などの訓誨《くんかい》を書いて、それをお種に習わせたものであった。
 こういう阿爺《おやじ》を持って嫁《かたづ》いて来
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