その晩は一緒に遊ぼうともしなかった。急にお房は反返《そりかえ》って、鼻を鳴らしたり、足で蹴《け》ったりした。お雪は肥え太った子供の首のあたりへ線香の粉にしたのを付けた。お房は怒って、泣いた。乳房を咬《くわ》えさせて、お雪は沈んで了った。


 田舎《いなか》の盆過に、復た曾根は三吉の家を訪ねた。その時は一人でやって来た。水車の音も都会の人にはめずらしかった。暫時《しばらく》彼女は家の門口に立って、垣根のところから南瓜の生《な》り下ったような侘《わび》しい棲居《すまい》のさまを眺めた。
 お雪は裏の柿の樹の下へ洗濯《せんたく》物が乾いたかを見に出た。直樹は遊びに出て居なかった。
「曾根さん――」
 とお雪は女の客を見つけて、直に家の内へ案内した。
 寂しくている三吉も喜んで迎えた。曾根が一人で訪ねて来たということは、ある目に見えない混雑を三吉の家の内へ持来《もちきた》した。曾根は、戸の間隙《すきま》からでも入って来て、何時の間にか三吉の前に坐っている人のようであった。
「お雪、鮨《すし》でも取りにやっておくれ。それから、お前も話しに来るが可い」と三吉は妻の居る処へ来て言った。
「私なんか
前へ 次へ
全293ページ中149ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング