のような生活《くらし》じゃ仕様が有りません……まるで浮いてるんですもの……」
こうお倉も嘆息した。
故郷《ふるさと》にあった小泉の家――その焼けない前のことは、何時までもお倉に取って忘れられなかった。橋本の写真を見るにつけても、彼女はそれを言出さずにいられなかった。三吉は又《ま》たこの嫂の話を聞いて、旧《ふる》い旧い記憶を引出されるような気がした。門の内には古い椿《つばき》の樹が有って、よくその実で油を絞ったものだ。大名を泊める為に設けたとかいう玄関の次には、母や嫂《あによめ》の機《はた》を織る場所に使用《つか》った板の間もあった。広い部屋がいくつか有って、そこから美濃《みの》の平野が遠く絵のように眺められた。阿爺《おやじ》の書院の前には松、牡丹《ぼたん》なども有った。寒くなると、毎朝家のものが集って、土地の習慣として焼たての芋焼餅《いもやきもち》に大根おろしを添えて、その息の出るやつをフウフウ言って食い、夜に成れば顔の熱《ほて》るような火を焚《た》いて、百姓の爺《じじ》が草履《ぞうり》を作りながら、奥山で狐火《きつねび》の燃える話などをした、そういう楽しい炉辺もあった。
小泉の家の昔を説出した嫂は、更にずっと旧いことまで覚えていて、それを弟達に話し聞かせた。嫂に言わせると、幾百年の前、故郷の山村を開拓したものは兄弟の先祖で、その昔は小泉の家と、問屋と、峠のお頭《かしら》と、この三軒しかなかった。谷を耕地に宛《あ》てたこと、山の傾斜を村落に択んだこと、村民の為に寺や薬師堂を建立《こんりゅう》したこと、すべて先祖の設計に成ったものであった。土地の大半は殆《ほと》んど小泉の所有と言っても可い位で、それを住む人に割《さ》き与えて、次第に山村の形を成した。お倉が嫁《かたづ》いて来た頃ですら、村の者が来て、「旦那、小屋を作るで、林の木をすこしおくんなんしょや」と言えば、「オオ、持って行けや」とこの調子で、毎年の元旦には村民一同小泉の門前に集って先ず年始を言入れたものであった。その時は、祝の餅、酒を振舞った。この餅を搗《つく》だけにも、小泉では二晩も三晩もかかって、出入りの者がその度に集って来た。「アイ、目出度いのい」――それが元日村の衆への挨拶《あいさつ》で、お倉は胸を突出しながら、その時の父や夫の鷹揚《おうよう》な態度を真似《まね》て見せた。
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