出来上るまで待つという約束で、其処を借りることに決めて来た。こんな話をして、それから三吉は思出したばかりでも汗の流れるという風に、
「家を探して歩くほど厭《いや》な気のするものは無いネ――加《おまけ》に、途中で、ヒドく雨に打たれて……」
 と言って聞かせた。女子供には、東京へ出られるということが訳もなしに嬉しかったのである。
 その晩、お房やお菊は寐《ね》る前に三吉の側へ来て戯れた。
「皆な温順《おとな》しくしていたかネ」と三吉が言った。「サ、二人ともそこへ並んで御覧」
 二人の娘は喜びながら父の前に立った。
「いいかね。房ちゃんが一号で、菊ちゃんが二号で、繁ちゃんが三号だぜ」
「父さん、房ちゃんが一号?」と姉の方が聞いた。
「ああ、お前が一号で、菊ちゃんが二号だ。父さんが呼んだら、返事をするんだよ――そら、やるぜ」
 娘達は嬉しそうに顔を見合せた。
「一号」
「ハイ」と妹の方が敏捷《すばしこ》く答えた。
「菊ちゃんが一号じゃ無いよ。房ちゃんが一号だよ」と姉は妹をつかまえて言った。
 大騒ぎに成った。二人の娘は部屋中|躍《おど》って歩いた。
「へえ、繁ちゃんも種痘《ほうそう》がつきましたに、見て下さい」
 と在から奉公に来ていた下女も、そこへ末の子供を抱いて来て見せた。厚着をさせてある頃で、お繁は未だ匍《は》いもしなかったが、チョチチョチ位は出来た。漸く首のすわりもシッカリして来た。家の内での愛嬌者《あいきょうもの》に成っている。
「よし。よし。さあもう、それでいいから、皆な行ってお休み」
 こう三吉が言ったので、お房もお菊も母の方へ行った。お雪は一人ずつ寝巻に着更えさせた。下女は人形でも抱くようにして、柔軟《やわらか》なお繁の頬へ自分の紅い頬を押宛てていた。
 やがて三人の子供は枕を並べて眠った。
「一号、二号、三号……」
 この自分から言出した串談《じょうだん》には、三吉は笑えなく成った。彼の母は、死んだものまで入れると八人も子供を産んでいる。お雪の方にはまた兄妹が十人あった。名倉の姉は今五人子持で、※[#「※」は○の中にナ」、215−7]の姉は六人子持だ。何方《どちら》を向いても子供沢山な系統から来ている……
 翌日《あくるひ》、三吉は学校の方へ形式ばかりの辞表を出した。そろそろ彼の家では引越の仕度に取掛った。よく郊外の噂《うわさ》が出た。雨でも降れば壁が乾く
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