れて来た。二人は親身の親子のように思って来た。
ある日、豊世はお種に向って、
「母親さん、今まで貴方には隠していましたが……真実《ほんとう》に父親《おとっ》さんのことを言いましょうか」
こう言出した。お種は嫁の顔をつくづくと眺《なが》めて、
「復た……母親さんを担《かつ》ごうなんと思って……」
「いえ、真実に……」
「豊世や、お前は真実に言う気かや……待てよ、そんなこと言われただけでも私は身体がゾーとして来る……」
その時始めて、お種は夫の滞在地《ありか》を知った。支那へ、とばかり思っていた夫はさ程遠くは行っていなかった。国に居る頃から夫が馴染《なじみ》の若い芸者、その人は新橋で請出《うけだ》されて行って、今は夫と一緒に住むとのことであった。
「大方、そんなことだらずと思った」
とお種は苦笑《にがわらい》に紛《まぎらわ》したが、心の中には更に種々な疑問を起した。
八月には、お種は東京で三吉を待受けた。この弟に逢《あ》われるばかりでなく、久し振りで姉弟《きょうだい》や親戚のものが一つ処に集るということは、お種に取って嬉しかった。豊世もまだ逢ってみたことの無い叔父の噂《うわさ》をした。
「橋本さんは是方《こちら》ですか」
店頭《みせさき》の玻璃戸に燈火《あかり》の映る頃、こう言って訪ねて来たのは三吉であった。丁度お種や豊世は買物を兼ねてぶらぶら町の方へ歩きに行った留守の時で、二階を貸している内儀《かみさん》が出て挨拶《あいさつ》した。
三吉は自分の旅舎《やどや》の方で姉を待つことにして、皆なと一緒に落合いたいと言出した。「では、御待ち申していますから、明日の夕方からでも訪ねて来るように」こう内儀に言伝《ことづて》を頼んだ。
やがて三吉は自分の旅舎を指して引返して行った。その夏、彼は妻の生家《さと》の方まで遠く行く積りで、名倉の両親を始め、多くの家族を訪ねようとして、序《ついで》に一寸《ちょっと》東京へ立寄ったのであった。
久し振で出て来た三吉は翌日《あくるひ》一日宿に居て、親戚のものを待受けた。森彦は約束の時間を違《たが》えずやって来た。三吉はこの兄を二階の座敷へ案内した。そこに来ていたお雪の二番目の妹にあたるお愛にも逢わせた。
「名倉さんの?」と森彦は三吉の方を見て、「先《せん》に修業に来ていた娘はどうしたい」
「お福さんですか。あの人は卒業して
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