っても済むじゃないか」
とお雪は下婢の前に立って言った。隣家《となり》では朝から餅搗《もちつき》を始めて、それが壁一重隔てて地響のように聞えて来る。三吉の家でも、春待宿《はるまつやど》のいとなみに忙《せわ》しかった。門松は入口のところに飾り付けられた。三吉は南向の日あたりの好い場所を択《えら》んで、裏白だの、譲葉《ゆずりは》だの、橙《だいだい》だのを取散して、粗末ながら注連飾《しめかざり》の用意をしていた。
貧しい田舎教師の家にも最早正月が来たかと思われた。三吉は、裏白の付いた細長い輪飾を部屋々々の柱に掛けて歩いたが、何か復た子供のことでお雪が気を傷《いた》めているかと思うと、顔を渋《しか》めた。三吉の癖で、見込の無い下婢よりは妻の方を責める――理窟《りくつ》が有っても無くても、一概に彼は使う方のものがワルいとしている。だから下婢が増長する、こうまたお雪の方では残念に思っている。
「そりゃ、お前が無理だ」と三吉はお雪に言った。「未だ彼女《あれ》は十五やそこいらじゃないか――子供じゃないか――そんなに責めたって不可《いけない》」
「誰も責めやしません」とお雪はさも口惜《くや》しそうに答えた。お雪は夫が奉公人というものを克《よ》く知らないと思っている――どんなに下婢が自分の命令《いいつけ》を守らないか、どんなに子供をヒドくするか、そんなことは一向御構いなしだ、こう思っている。
「責めないって、そう聞えらア」と復た三吉が言った。
「私が何時責めるようなことを言いました」とお雪は憤然《むっ》とする。
「お前の調子が責めてるじゃないか」
「調子は私の持前です」
「お前が父親《おとっ》さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」
「誰が親と奉公人と一緒にして、物を言うやつが有るもんですか。こんな奉公人の前で、親の恥まで曝《さら》さなくっても可《よ》う御坐んす」
「解らないことを言うナア――なにも、そんな訳で親を舁《かつ》ぎ出したんじゃなし――奉公人は親ぐらいに思っていなくって使われるかい」
奉公人そッちのけにして、三吉とお雪とはこんな風に言合った。その時、お房は何事が起ったかと言ったような眼付をして、親達の顔を見比べた。下婢は下婢で、隅《すみ》の方に小さく成って震えていた。
「女中のことで言合をするなぞは――馬鹿々々しい」と三吉は思い直した。そして、自分等夫婦も、何
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