の地所でも、実際自分で鍬を執《と》って耕してみるということは、初めてである。不慣な三吉は直に疲れた。彼の手足は頭脳《あたま》の中で考えたように動かなかった。時々彼はウンと腰を延ばして、土の着いた重い鍬に身体を持たせ凭《か》けて、青い空気を呼吸した。
 マブしい日が落ちて来た。三吉は眼鏡《めがね》の上から頬冠りして、復た働き始めた。
「どうも、好く御精が出ます」
 と声を掛けて、クスクス笑いながら垣根の外から覗《のぞ》いて通る人があった。学校の小使だ。この男の家では小作をして、小使の傍《かたわ》ら相応の年貢を納めている。いずれ三吉はこの男に相談して、畠の手伝いを頼もうと思った。野菜の種も分けて貰おうと思った。
 翌日《あくるひ》も、学校から帰ると直ぐ三吉は畠へ出た。
 お雪は垣根と桑畠の間を通って、三吉の働いている処へ来た。書生も後から随《つ》いて来た。
「オイ、そんなところに立って見ていないで、ちと手伝いをしろ」と三吉が言た。
「御手伝いに来たんですよ」とお雪は笑った。
「お前達はその石塊《いしころ》を片付けナ」と三吉は言付けて、「子供のうちから働きつけた者でなくちゃ駄目だね――所詮《とても》この調子じゃ、俺も百姓には成れそうも無いナ」
 三吉は笑って、一度掘起した土を復た掘返した。大な石塊が幾個《いくつ》も幾個も出て来た。
 お雪も手拭を冠り、尻端を折って、書生と一緒に手伝い始めた。石塊は笊《ざる》に入れて、水の流の方へ運んだ。掘起した雑草の根は畠の隅に積重ねてあった。その容易に死なない、土の着いた、重いやつを、何度にか持運んで捨てに行くということすら、お雪には一仕事であった。三人は日光を浴びながら一緒に成って根気に働いた。
「頬冠りも好う御座んすが、眼鏡が似合いません」
 こうお雪は夫の方を見て、軽く笑うように言った。書生も立って見ていた。三吉も苦笑《にがわらい》して、土の着いた手で額の汗を拭《ぬぐ》った。


 清い流で鍬を洗って、入口の庭のところに腰掛けながら、一服やった時は、三吉も楽しい疲労《つかれ》を覚えた。お雪も足を洗って入って来た。激しく女の労働する土地で、麻の袋を首に掛けながら桑畠へ通う人達が会釈して通る。お雪は家を持つ早々こうして女も働けば働けるものかということを知った。
 嫁《かたづ》いて来たばかりで、まだ娘らしい風俗がお雪の身の辺《まわり》に
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