、やがて後に隱れた。三月の節句前のことで、船は港々へ寄つて、榮螺を詰めた俵を積んだ。魚も積んだ。それを船員が總懸りで船の底へ投込む度に、吾儕の居る室の方まで響けた。A君は無理に寢て行つた。船の中では晝の辨當を賣つたが、誰も買ふものが無かつた。斯うして午後まで搖られた。
 伊東へ着いた。其日もA君は別に船旅に醉つたやうな樣子は無かつた。
 湯の香のする舊い朽ちかゝつたやうな町、左樣かと思ふと繪葉書を賣る店や、玉突場や、新しく普請をした建築物《たてもの》などの軒を並べた町――斯う混交《いれまじ》つて居るところへ來た。こゝは最早《もう》純粹な田舍ではなかつた。それだけ熱海や小田原の方へ近づいたやうな氣もした。
 吾儕は行く先/\で何かしら賞めた――すくなくも土地の長處を見つけて、その日/\の旅の苦痛に耽りたいと思つた。修善寺の湯は熱過ぎたし、湯が島では温《ぬる》過ぎたし、湯が野も惡くはなかつたが、入り心地の好いのは是處だ。是は伊東の宿へ來て、町の往來へ向つた二階の角の部屋で、皆な一緒に茶を飮んだ時の評定だつた。
「こゝの湯で、下田の宿で、湯が島の溪流があつたら、申分なしだネ。」と私が言つて見た。
「長津呂の内儀さんで――」
 とK君は笑ひながら附添《つけた》した。
 其日は晝飯《ひる》を食はずだから、宿へ頼んで、夕飯を早くして貰つた。皆な腹《おなか》が空いて居た。一時は飮食《のみくひ》するより外の考へが無かつた。嫌ひな船に搖られた故か、A君は何となく元氣が無かつた。私がそれを尋ねたら、「ナニ、別に何處も惡かない――たゞ意氣銷沈した。」斯う答へて居た。
 日が暮れてから、A君はこゝの繪葉書を買つて來た。「東京へ土産にするやうなものは何物《なんに》も無かつた。」と言つて、その繪葉書を見せた。中に大島の風俗があつた。大島はよく眺めて來て、島の形から三原山の噴煙まで眼前《めのまへ》にある位だから、この婦人の風俗は吾儕の注意を引いた。右を取るといふものが有り、左を取るといふものが有つた。「左は僕の知つてる人に酷《よ》く似てる。」などゝ言つて笑ふものも有つた。禮服、勞働の姿で撮《と》れて居た。K君は二枚分けて貰つた。
 それは翌日《あくるひ》東京へ歸るといふ前の晩だつた。吾儕は烈しい、しかしながら樂しい疲勞を覺えた。短い旅の割には可成|種々《いろ/\》な處を見て來たやうな氣もした。皆な留守にして置いた家《うち》のことが氣に掛かつて來た。同時に、しばらく忘れて居た工場の笛、車の音、唸るやうな電車、煤と煙と埃とで暗いやうな都會の空に震へる彼《あ》の響を思出すやうに成つた。彼《あ》の單調な、退屈な…………



底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「太陽」
   1909(明治42)年4月
※底本の「執筆者・発表紙誌一覧」には、原題が「旅」である旨の記載があります。
入力:林 幸雄
校正:染川隆俊
ファイル作成:
2005年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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