いて行《い》つて呉《く》れることもありました。
めづらしいお客《きやく》さまでもある時《とき》には、父《とう》さんのお家《いへ》[#「いへ」はママ]では鷄《にはとり》の肉《にく》を御馳走《ごちそう》しました。山家《やまが》のことですから、鷄《にはとり》の肉《にく》と言《い》へば大《たい》した御馳走《ごちそう》でした。その度《たび》にお家《いへ》に飼《か》つてある鷄《にはとり》が減《へ》りました。あの締《し》められた首《くび》を垂《た》れ眼《め》を白《しろ》くしまして、羽《はね》をむしられる鷄《にはとり》を見《み》て居《ゐ》ますと、父《とう》さんはお腹《なか》の中《なか》でハラ/\しました。これはお客《きやく》さまの御馳走《ごちそう》ですから仕方《しかた》が無《な》いと思《おも》ひましたが、近所《きんじよ》のお家《いへ》では、鬪鷄《しやも》や鷄《にはとり》を締殺《しめころ》して煮《に》て食《く》ふといふことをよくやりました。村《むら》には隨分《ずゐぶん》惡戲《いたづら》の好《す》きな人達《ひとたち》がありました。さういふ人達《ひとたち》は生《い》きて居《ゐ》る鬪鷄《しやも》の毛《け》をむしりまして、煮《に》て食《く》ふ前《まへ》に追《お》ひ廻《まは》して面白《おもしろ》がつたものです。あの赤《あか》はだかに毛《け》を拔《ぬ》かれた鳥《とり》がヒヨイ/\飛《と》び歩《ある》くのを見《み》るほど、むごいものは無《な》いと思《おも》ひました。父《とう》さんは子供心《こどもごゝろ》にも、そんな惡戲《いたづら》をする村《むら》の人達《ひとたち》を何程《なにほど》憎《にく》んだか知《し》れません。
お家《うち》の土藏《どざう》には年《とし》をとつた白《しろ》い蛇《へび》も住《す》んで居《を》りました。その蛇《へび》は土藏《どざう》の『主《ぬし》』だから、かまはずに置《お》けと言《い》つて、石《いし》一つ投《な》げつけるものもありませんでした。不思議《ふしぎ》にもその年《とし》とつた蛇《へび》は動物園《どうぶつゑん》にでも居《ゐ》るやうに温順《おとな》しくして居《ゐ》てついぞ惡戲《いたづら》をしたといふことを聞《き》きません。父《とう》さんはめつたにその蛇《へび》を見《み》ませんでしたが、どうかすると日《ひ》の映《あた》つた土藏《どざう》の石垣《いしがき》の間《あひだ》に身體《からだ》だけ出《だ》しまして、頭《あたま》も尻尾《しつぽ》も隱《かく》しながら日向《ひなた》ぼつこをして居《ゐ》るのを見《み》かけました。
この土藏《どざう》について石段《いしだん》を降《お》りて行《ゆ》きますと、お家《うち》の木小屋《きごや》がありました。木小屋《きごや》の前《まへ》には池《いけ》があつて石垣《いしがき》の横《よこ》に咲《さ》いて居《ゐ》る雪《ゆき》の下《した》や、そこいらに遊《あそ》んで居《ゐ》る蜂《はち》や蛙《かへる》なぞが、父《とう》さんの遊《あそ》びに行《ゆ》くのを待《ま》つて居《ゐ》ました。裏木戸《うらきど》の外《そと》へ出《で》て見《み》ますと、そこにはまたお稻荷《いなり》さまの赤《あか》い小《ちひ》さな社《やしろ》の側《そば》に大《おほ》きな栗《くり》の木《き》が立《た》つて居《ゐ》ました。風《かぜ》でも吹《ふ》いて栗《くり》の枝《えだ》の搖《ゆ》れるやうな朝《あさ》に父《とう》さんがお家《うち》から馳出《かけだ》して行《い》つて見《み》ますと『誰《たれ》も來《こ》ないうちに早《はや》くお拾《ひろ》ひ。』と栗《くり》の木《き》が言《い》つて、三つづゝ一|組《くみ》になつた栗《くり》の實《み》の毬《いが》と一|緒《しよ》に落《お》ちたのを父《とう》さんに拾《ひろ》はせて呉《く》れました。高《たか》いところを見《み》ると、ワンと口《くち》を開《あ》いた栗《くり》の毬《いが》が枝《えだ》の上《うへ》から父《とう》さんの方《はう》を笑《わら》つて見《み》て居《ゐ》まして、わざと落《お》ちた栗《くり》の在《あ》る塲所《ばしよ》も教《をし》へずに、父《とう》さんに探《さが》し廻《まは》らせては悦《よろこ》んで居《を》りました。
『あんなところに落《お》ちて居《ゐ》るのが、あれが見《み》えないのかナア。』とは栗《くり》の毬《いが》がよく父《とう》さんに言《い》ふことでした。栗《くり》の木《き》は花《はな》からして提灯《ちやうちん》をぶらさげたやうに滑稽《こつけい》な木《き》でしたし、どうかすると青《あを》い栗虫《くりむし》なぞを落《おと》してよこして、人《ひと》をびつくりさせることの好《す》きな木《き》でしたが、でも父《とう》さんの好《す》きな木《き》でした。
一八 榎木《えのき》の實《み》
お家《うち》の裏《うら》にある榎木《えのき》の實《
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