祖母《おばあ》さん、伯父《おぢ》さん、伯母《おば》さんの顏《かほ》から、奉公《ほうこう》するお雛《ひな》の顏《かほ》まで、家中《うちぢう》のものゝ顏《かほ》は焚火《たきび》に赤《あか》く映《うつ》りました。その樂《たのし》い爐邊《ろばた》には、長《なが》い竹《たけ》の筒《つゝ》とお魚《さかな》の形《かた》と繩《なは》とで出來《でき》た煤《すゝ》けた自在鍵《じざいかぎ》が釣《つ》るしてありまして、大《おほ》きなお鍋《なべ》で物《もの》を煮《に》る塲所《ばしよ》でもあり家中《うちぢう》集《あつ》まつて御飯《ごはん》を食《た》べる塲所《ばしよ》でもありました。父《とう》さんの田舍《ゐなか》では寒《さむ》くなると毎朝《まいあさ》芋焼餅《いもやきもち》といふものを燒《や》いて、朝《あさ》だけ御飯《ごはん》のかはりに食《た》べました。蕎麥《そば》の粉《こ》に里芋《さといも》の子《こ》をまぜて造《つく》つたその燒餅《やきもち》の焦《こ》げたところへ大根《だいこん》おろしをつけて焚火《たきび》にあたりながらホク/\食《た》べるのは、どんなにおいしいでせう。その蕎麥《そば》の香《にほ》ひのする燒《や》きたてのお餅《もち》の中《なか》から大《おほ》きな里芋《さといも》の子《こ》なぞが白《しろ》く出《で》て來《き》た時《とき》は、どんなに嬉《うれ》しいでせう。爺《ぢい》やは御飯《ごはん》の時《とき》でも、なんでも、草鞋《わらぢ》ばきの土足《どそく》のまゝで爐《ろ》の片隅《かたすみ》に足《あし》を投《な》げ入《い》れましたが、夕方《ゆふがた》仕事《しごと》の濟《す》む頃《ころ》から草鞋《わらぢ》をぬぎました。爐邊《ろばた》にある古《ふる》い屏風《べうぶ》の側《わき》が爺《ぢい》やの夜《よ》なべをする塲所《ばしよ》ときまつて居《ゐ》ました。爺《ぢい》やはその屏風《べうぶ》の側《わき》に新《あたら》しい藁《わら》なぞを置《お》いて、父《とう》さんのために小《ちひ》さな草履《ざうり》を造《つく》つたり、自分《じぶん》ではく草鞋《わらぢ》を造《つく》つたりしました。爺《ぢい》やのお伽話《とぎばなし》はその時《とき》に始《はじ》まるのでした。
父《とう》さんはこの好《す》きな老人《らうじん》から、畠《はたけ》よりあらはれた狸《たぬき》や狢《むじな》の話《はなし》、山《やま》で飛《と》び出《だ》した雉《きじ》の話《はなし》、それから奧山《おくやま》の方《はう》に住《す》むといふ恐《おそ》ろしい狼《おほかみ》や山犬《やまいぬ》の話《はなし》なぞを聞《き》きましたが、そのうちに眠《ねむ》くなつて、爺《ぢい》やの話《はなし》を聞《き》きながら爐邊《ろばた》でよく寢《ね》てしまひました。

   一二 草摘《くさつ》みに

父《とう》さんの幼少《ちひさ》な時分《じぶん》には、お錢《あし》といふものを持《も》たせられませんでしたから、それが癖《くせ》になつて、お錢《あし》は子供《こども》の持《も》つものでないと思《おも》つて居《ゐ》ましたし、巾着《きんちやく》からお錢《あし》を出《だ》して自分《じぶん》の好《す》きなものを買《か》ふことも知《し》りませんでした。お家《うち》からお錢《あし》を貰《もら》つて行《い》つて何《なに》か買《か》ふのは、村《むら》の祭禮《おまつり》の時《とき》ぐらゐのものでした。
そのかはり、お庭《には》にある柿《かき》や梨《なし》なぞが生《な》りたての新《あたら》しい果物《くだもの》を父《とう》さんに御馳走《ごちそう》して呉《く》れました。祖母《おばあ》さんが朴《ほほ》の木《き》の葉《は》で包《つゝ》んで下《くだ》さる※[#「熱」の左上が「幸」、50−3]《あつ》い握飯《おむすび》の香《にほひ》でも嗅《か》いだ方《はう》が、お錢《あし》を出《だ》して買《か》つたお菓子《くわし》より餘程《よほど》おいしく思《おも》ひました。お家《うち》の外《そと》を歩《ある》き廻《まは》つても、石垣《いしがき》のところには黄色《きいろ》い木苺《きいちご》の實《み》が生《な》つて居《ゐ》るし、竹籔《たけやぶ》のかげの高《たか》い榎木《えのき》の下《した》には、香《かん》ばしい小《ちひ》さな實《み》が落《お》ちて居《ゐ》ました。村《むら》のはづれには「けんぽ梨《なし》」といふ木《き》もあつて、高《たか》い枝《えだ》の上《うへ》に珊瑚珠《さんごじゆ》のやうな實《み》が生《な》る時分《じぶん》には木曽路《きそぢ》を通《とほ》る旅人《たびびと》はめづらしさうに仰向《あうむ》いて見《み》て行《ゆ》きましたが、その實《み》も取《と》れば食《た》べられて甘《うま》い味《あぢ》がしました。そればかりではありません、山《やま》にある木《き》の葉《は》、田圃《たんぼ》にある草《くさ》の
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