染《なじみ》の桐《きり》の木《き》も立《た》つて居《ゐ》ました。その桐《きり》の木《き》は背《せい》こそ高《たか》くても、まだ木《き》の子供《こども》でして、
『いよ/\東京《とうきやう》の方《はう》へ行《ゆ》くんですか。私《わたし》も大《おほ》きくなつてお前《まへ》さんを待《ま》つて居《ゐ》ます。御覽《ごらん》、あそこにはお前《まへ》さんに桑《くは》の實《み》を御馳走《ごちそう》した桑《くは》の木《き》も居《ゐ》ます。お前《まへ》さんのよく登《のぼ》つた柿《かき》の木《き》も居《ゐ》ます。あの土藏《どざう》の横手《よこて》の石垣《いしがき》の間《あひだ》には、土藏《どざう》の番《ばん》をする年《とし》とつた蛇《へび》が居《ゐ》て、今《いま》でも居眠《ゐねむ》りをして居《ゐ》ます。私達《わたしたち》はみんなお前《まへ》さんのお友達《ともだち》です。[#底本では「。」は脱字]私達《わたしたち》をよく覺《おぼ》えて居《ゐ》て下《くだ》さいよ。』
と言《い》ひました。
父《とう》さんはその草履《ざうり》[#ルビの「ざうり」は底本では「ざいり」]で、表庭《おもてには》の門《もん》の内《うち》にある梨《なし》[#ルビの「なし」は底本では「なり」]の木《き》の側《わき》へも行《い》きました。
『まあ、好《い》い草履《ざうり》を買《か》つて貰《もら》ひましたね。その草履《ざうり》には紐《ひも》が結《むす》んでありますね。お前《まへ》さんが大《おほ》きくなつて歸《かへ》つて來《き》たら、私《わたし》もまた大《おほ》きな梨《なし》をどつさり御馳走《ごちさう》しますよ。』
とその梨《なし》の木《き》が言《い》ひました。
伯父《をぢ》さんは父《とう》さん達《たち》を引連《ひきつ》れまして、日頃《ひごろ》親《した》しくする近所《きんじよ》の家々《うち/\》へ挨拶《あいさつ》に寄《よ》りました。大黒屋《だいこくや》へ寄《よ》れば小母《をば》[#「小母」は底本では「小毎」]さん達《たち》が家《うち》の外《そと》まで出《で》て見送《みおく》り、俵屋《たはらや》へ寄《よ》ればお婆《ばあ》さんが出《で》て見送《みおく》つて呉《く》れました。八幡屋《やはたや》、和泉屋《いづみや》、丸龜屋《まるかめや》、まだその他《ほか》にも伯父《をぢ》さんの挨拶《あいさつ》に寄《よ》つた家《うち》は澤山《たくさん》ありましたが、その度《たび》に父《とう》さん達《たち》は坂《さか》になつた村《むら》の道《みち》を峠《たうげ》の上《うへ》の方《はう》へ登《のぼ》つて行《い》きました。
馬籠《まごめ》の村《むら》はづれまで出《で》ますと、その峠《たうげ》の上《うへ》の高《たか》いところにも耕《たがや》した畠《はたけ》がありました。そこにも伯父《をぢ》さんに聲《こゑ》を掛《か》けるお百姓《ひやくしやう》がありました。父《とう》さんが遊《あそ》び廻《まは》つた谷間《たにま》と、谷間《たにま》の向《むか》ふの林《はやし》も、その邊《へん》からよく見《み》えました。山《やま》と山《やま》の重《かさ》なり合《あ》つた向《むか》ふの方《はう》には、祖父《おぢい》さんの好《す》きな惠那山《ゑなざん》が一|番《ばん》高《たか》い所《ところ》に見《み》えました。祖父《おぢい》さんも、祖母《おばあ》[#「祖母」は底本では「祖毎」]さんも、さやうなら。馬籠《まごめ》も、さやうなら。惠那山《えなざん》も、さやうなら。
六〇 峠《たうげ》の馬《うま》の挨拶《あいさつ》
馬籠《まごめ》の村《むら》はづれには、杉《すぎ》の木《き》の生《は》えた澤《さは》を境《さかひ》にしまして、別《べつ》に峠《たうげ》といふ名前《なまへ》の小《ちい》さな村《むら》があります。この峠《たうげ》に、馬籠《まごめ》に、湯舟澤《ゆぶねざは》と、それだけの三《さん》ヶ村《そん》を一緒《いつしよ》にして神坂村《みさかむら》と言《い》ひました。
『名物《めいぶつ》、栗《くり》こはめし――御休處《おやすみどころ》。』
こんな看板《かんばん》を掛《か》けた家《うち》が一|軒《けん》しかない程《ほど》、峠《たうげ》は小《ちい》さな村《むら》でした。そこに住《す》む人達《ひとたち》はいづれも山《やま》の上《うへ》を耕《たがや》すお百姓《ひやくしやう》ばかりでした。その村《むら》にも伯父《をぢ》さんが寄《よ》つて挨拶《あいさつ》して行《ゆ》く家《うち》がありましたが、入口《いりぐち》の柱《はしら》のところに繋《つな》がれて居《ゐ》た馬《うま》は父《とう》さん達《たち》の方《はう》を見《み》まして、
『お揃《そろ》ひで、東京《とうきやう》の方《はう》へお出掛《でか》けですか。』[#底本では始めと終わりの二重かぎ括弧が脱字]
と聲《こゑ》を掛《か
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