》の居《ゐ》る木曾《きそ》の小父《をぢ》さんの家《うち》を訪《たづ》ねたことが有《あ》りましたらう。あの小父《をぢ》さんの家《うち》の前《まへ》から、木曽川《きそがは》の流《なが》れるところを見《み》て來《き》ましたらう。小父《をじ》さんの家《うち》のある木曾福島町《きそふくしままち》は御嶽山《おんたけさん》に近《ちか》いところですが、あれから木曽川《きそがは》について十|里《り》ばかりも川下《かはしも》に神坂村《みさかむら》といふ村《むら》があります。それが父《とう》さんの生《うま》れた村《むら》です。

   三 山《やま》の中《なか》へ來《く》るお正月《しやうぐわつ》

父《とう》さんも昔《むかし》はお前達《まへたち》と同《おな》じやうに、お正月《しやうぐわつ》の來《く》るのを樂《たのし》みにした子供《こども》でしたよ。
お正月《しやうぐわつ》が來《く》る時分《じぶん》になると、父《とう》さんの生《うま》れたお家《うち》では自分《じぶん》のところでお餅《もち》をつきました。そのお餅《もち》は爐邊《ろばた》につゞいた庭《には》でつきましたから、そこへ爺《ぢい》やが小屋《こや》から杵《きね》をかついで來《き》ました。臼《うす》もころがして來《き》ました。お餅《もち》にするお米《こめ》は裏口《うらぐち》の竈《かまど》で蒸《む》しましたから、そこへも手傳《てつだ》ひのお婆《ばあ》さんが來《き》て樂《たの》しい火《ひ》を焚《た》きました。
やがて蒸籠《せいろ》といふものに入《い》れて蒸《む》したお米《こめ》がやはらかくなりますとお婆《ばあ》さんがそれを臼《うす》の中《なか》へうつします。爺《ぢい》やは杵《きね》でもつて、それをつき始《はじ》めます。だんだんお米《こめ》がねばつて來《き》て、お餅《もち》が臼《うす》の中《なか》から生《うま》れて來《き》ます。爺《ぢい》やは力《ちから》一ぱい杵《きね》を振《ふ》り上《あ》げて、それを打《う》ちおろす度《たび》に、臼《うす》の中《なか》のお餅《もち》には大《おほ》きな穴《あな》があきました。お婆《ばあ》さんはまた腰《こし》を振《ふ》りながら、爺《ぢい》やが杵《きね》を振《ふ》り上《あ》げた時《とき》を見計《みはか》つては穴《あな》のあいたお餅《もち》をこねました。
『べつたらこ。べつたらこ。』
その餅《もち》つきの音《おと》を
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