いて行《い》つて呉《く》れることもありました。
めづらしいお客《きやく》さまでもある時《とき》には、父《とう》さんのお家《いへ》[#「いへ」はママ]では鷄《にはとり》の肉《にく》を御馳走《ごちそう》しました。山家《やまが》のことですから、鷄《にはとり》の肉《にく》と言《い》へば大《たい》した御馳走《ごちそう》でした。その度《たび》にお家《いへ》に飼《か》つてある鷄《にはとり》が減《へ》りました。あの締《し》められた首《くび》を垂《た》れ眼《め》を白《しろ》くしまして、羽《はね》をむしられる鷄《にはとり》を見《み》て居《ゐ》ますと、父《とう》さんはお腹《なか》の中《なか》でハラ/\しました。これはお客《きやく》さまの御馳走《ごちそう》ですから仕方《しかた》が無《な》いと思《おも》ひましたが、近所《きんじよ》のお家《いへ》では、鬪鷄《しやも》や鷄《にはとり》を締殺《しめころ》して煮《に》て食《く》ふといふことをよくやりました。村《むら》には隨分《ずゐぶん》惡戲《いたづら》の好《す》きな人達《ひとたち》がありました。さういふ人達《ひとたち》は生《い》きて居《ゐ》る鬪鷄《しやも》の毛《け》をむしりまして、煮《に》て食《く》ふ前《まへ》に追《お》ひ廻《まは》して面白《おもしろ》がつたものです。あの赤《あか》はだかに毛《け》を拔《ぬ》かれた鳥《とり》がヒヨイ/\飛《と》び歩《ある》くのを見《み》るほど、むごいものは無《な》いと思《おも》ひました。父《とう》さんは子供心《こどもごゝろ》にも、そんな惡戲《いたづら》をする村《むら》の人達《ひとたち》を何程《なにほど》憎《にく》んだか知《し》れません。
お家《うち》の土藏《どざう》には年《とし》をとつた白《しろ》い蛇《へび》も住《す》んで居《を》りました。その蛇《へび》は土藏《どざう》の『主《ぬし》』だから、かまはずに置《お》けと言《い》つて、石《いし》一つ投《な》げつけるものもありませんでした。不思議《ふしぎ》にもその年《とし》とつた蛇《へび》は動物園《どうぶつゑん》にでも居《ゐ》るやうに温順《おとな》しくして居《ゐ》てついぞ惡戲《いたづら》をしたといふことを聞《き》きません。父《とう》さんはめつたにその蛇《へび》を見《み》ませんでしたが、どうかすると日《ひ》の映《あた》つた土藏《どざう》の石垣《いしがき》の間《あひだ》に身體《から
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