とほ》りぬけて、裏《うら》の木小屋《きごや》の方《はう》へ降《おり》て行《ゆ》く石段《いしだん》の横《よこ》に、その井戸《ゐど》がありました。そこも父《とう》さんの好《す》きなところで、家《うち》の人《ひと》が手桶《てをけ》をかついで來《き》たり、水《みづ》を汲《く》んだりする側《そば》に立《た》つて、それを見る《み》のを樂《たのし》く思《おも》ひました。父《とう》さんの幼少《ちひさ》な時分《じぶん》にはお家《うち》にお雛《ひな》といふ女《をんな》が奉公《ほうこう》して居《ゐ》まして、半分《はんぶん》乳母《うば》のやうに父《とう》さんを負《おぶ》つたり抱《だ》いたりして呉《く》れたことを覺《おぼ》えて居《ゐ》ます。そのお雛《ひな》は井戸《ゐど》から石段《いしだん》を上《あが》り、土藏《どざう》の横《よこ》を通《とほ》り、桑畠《くはばたけ》の間《あひだ》を通《とほ》つて、お家《うち》の臺所《だいどころ》までづゝ水《みづ》を運《はこ》びました。
八 凧《たこ》
山《やま》の中《なか》の田舍《ゐなか》では、近所《きんじよ》に玩具《おもちや》を賣《う》る店《みせ》もありません。村《むら》の子供《こども》は凧《たこ》なぞも自分《じぶん》で造《つく》りました。
父《とう》さんはまだ幼少《ちひさ》かつたものですから、お家《うち》の爺《ぢい》やに手傳《てつだ》つて貰《もら》ひまして、造作《ざうさ》なく出來《でき》る凧《たこ》を造《つく》りました。紙《かみ》と絲《いと》とはお祖母《ばあ》さんが下《くだ》さる、骨《ほね》の竹《たけ》は裏《うら》の竹籔《たけやぶ》から爺《ぢい》やが切《き》つて來《き》て呉《く》れる、何《なに》もかもお家《うち》にある物《もの》で間《ま》に合《あ》ひました。爺《ぢい》やが青《あを》い竹《たけ》を細《ほそ》く削《けづ》つて呉《く》れますと、それに父《とう》さんが御飯粒《ごはんつぶ》で紙《かみ》を張《は》りつけまして、鯣《するめ》のかたちの凧《たこ》を造《つく》りました。みんなのするやうに、凧《たこ》の尾《を》には矢張《やはり》紙《かみ》を長《なが》く切《き》つてさげました。
末子《すゑこ》は學校《がくかう》の先生《せんせい》[#ルビの「せんせい」は底本では「せうせい」]から手工《しゆこう》を習《なら》ひませう、自分《じぶん》で紙《かみ》の箱《はこ》
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