きやう》へ出《で》る時分《じぶん》には、鐵道《てつだう》のない頃《ころ》ですから、是非《ぜひ》とも木曽路《きそぢ》を歩《ある》かなければ成《な》りませんでした。もう好《い》い加減《かげん》歩《ある》いて行《い》つて、谷《たに》がお仕舞《しまひ》になつたかと思《おも》ふ時分《じぶん》には、また向《むか》ふの方《はう》の谷間《たにま》の板屋根《いたやね》から煙《けむり》の立《た》ち登《のぼ》るのが見《み》えました。さういふ煙《けむり》の見《み》えるところにかぎつて、旅人《たびびと》の腰掛《こしか》けて休《やす》んで行《ゆ》く休茶屋《やすみぢやや》がありました。
『御休處《おんやすみどころ》』
として、白《しろ》いところに黒《くろ》い太《ふと》い字《じ》で書《か》いてある看板《かんばん》は、父《とう》さん達《たち》にも寄《よ》つて休《やす》んで行《ゆ》けと言《い》ふやうに見《み》えました。さういふ休茶屋《やすみぢやや》には、きまりで『御嶽講《おんたけかう》』の文字《もじ》を染《そ》めぬいた布《きれ》がいくつも軒下《のきした》に釣《つ》るしてありました。
樂《たの》しい御休處《おんやすみどころ》。父《とう》さんが祖母《おばあ》さんから貰《もら》つて來《き》た金米糖《こんぺいたう》なぞを小《ちひ》さな鞄《かばん》から取出《とりだ》すのも、その御休處《おんやすみどころ》でした。塲處《ばしよ》によりましては、冷《つめた》い清水《しみづ》が樋《とひ》をつたつて休茶屋《やすみぢやや》のすぐ側《わき》へ流《なが》れて來《き》て居《ゐ》ます。さういふ清水《しみづ》はいくらでも父《とう》さんに飮《の》ませて呉《く》れました。
六四 寢覺《ねざめ》の蕎麥屋《そばや》
寢覺《ねざめ》といふところには名高《なだか》い蕎麥屋《そばや》がありました。
木曽路《きそぢ》を通《とほ》るもので、その蕎麥屋《そばや》を知《し》らないものはないと、伯父《をぢ》さんが父《とう》さん達《たち》に話《はな》して呉《く》れました。そこは蕎麥屋《そばや》とも思《おも》へないやうな家《うち》でした。多勢《おほぜい》の旅人《たびびと》が腰掛《こしか》けて、めづらしさうにお蕎麥《そば》のおかはりをして居《ゐ》ました。伯父《をぢ》さんは父《とう》さん達《たち》にも山《やま》のやうに盛《も》りあげたお蕎麥《そば》を奢《
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