りましたが、その度《たび》に父《とう》さん達《たち》は坂《さか》になつた村《むら》の道《みち》を峠《たうげ》の上《うへ》の方《はう》へ登《のぼ》つて行《い》きました。
馬籠《まごめ》の村《むら》はづれまで出《で》ますと、その峠《たうげ》の上《うへ》の高《たか》いところにも耕《たがや》した畠《はたけ》がありました。そこにも伯父《をぢ》さんに聲《こゑ》を掛《か》けるお百姓《ひやくしやう》がありました。父《とう》さんが遊《あそ》び廻《まは》つた谷間《たにま》と、谷間《たにま》の向《むか》ふの林《はやし》も、その邊《へん》からよく見《み》えました。山《やま》と山《やま》の重《かさ》なり合《あ》つた向《むか》ふの方《はう》には、祖父《おぢい》さんの好《す》きな惠那山《ゑなざん》が一|番《ばん》高《たか》い所《ところ》に見《み》えました。祖父《おぢい》さんも、祖母《おばあ》[#「祖母」は底本では「祖毎」]さんも、さやうなら。馬籠《まごめ》も、さやうなら。惠那山《えなざん》も、さやうなら。

   六〇 峠《たうげ》の馬《うま》の挨拶《あいさつ》

馬籠《まごめ》の村《むら》はづれには、杉《すぎ》の木《き》の生《は》えた澤《さは》を境《さかひ》にしまして、別《べつ》に峠《たうげ》といふ名前《なまへ》の小《ちい》さな村《むら》があります。この峠《たうげ》に、馬籠《まごめ》に、湯舟澤《ゆぶねざは》と、それだけの三《さん》ヶ村《そん》を一緒《いつしよ》にして神坂村《みさかむら》と言《い》ひました。
『名物《めいぶつ》、栗《くり》こはめし――御休處《おやすみどころ》。』
こんな看板《かんばん》を掛《か》けた家《うち》が一|軒《けん》しかない程《ほど》、峠《たうげ》は小《ちい》さな村《むら》でした。そこに住《す》む人達《ひとたち》はいづれも山《やま》の上《うへ》を耕《たがや》すお百姓《ひやくしやう》ばかりでした。その村《むら》にも伯父《をぢ》さんが寄《よ》つて挨拶《あいさつ》して行《ゆ》く家《うち》がありましたが、入口《いりぐち》の柱《はしら》のところに繋《つな》がれて居《ゐ》た馬《うま》は父《とう》さん達《たち》の方《はう》を見《み》まして、
『お揃《そろ》ひで、東京《とうきやう》の方《はう》へお出掛《でか》けですか。』[#底本では始めと終わりの二重かぎ括弧が脱字]
と聲《こゑ》を掛《か
前へ 次へ
全86ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング