しやうぐわつ》のお飾《かざ》りを片付《かたづ》ける時分《じぶん》には、村中《むらぢう》の門松《かどまつ》や注連繩《しめなは》などを村《むら》のはづれへ持《も》つて行《い》つて、一|緒《しよ》にして燒《や》きました。村《むら》の人《ひと》はめい/\お餅《もち》を竿《さを》の先《さき》にさしてその火《ひ》で燒《や》いて食《た》べたり、子供《こども》のお清書《せいしよ》を煙《けむり》の中《なか》に投《な》げこんで、高《たか》く空《そら》にあがつて行《ゆ》く紙《かみ》の片《きれ》を眺《なが》めたりしました。火《ひ》の氣《け》と、煙《けむり》とで、お清書《せいしよ》が高《たか》くあがれば、それを書《か》いたものの手《て》があがると言《い》ひました。松《まつ》の燃《も》える煙《けむり》と一|緒《しよ》になつてお清書《せいしよ》が高《たか》く、高《たか》くあがつて行《ゆ》くのは丁度《ちやうど》凧《たこ》でもあげるのを見《み》るやうでした。その正月《しやうぐわつ》のお飾《かざり》を集《あつ》めて燒《や》く村《むら》のはづれまで行《ゆ》きますと、その邊《へん》にはびつくりするほど大《おほ》きな岩《いは》や石《いし》が田圃《たんぼ》の間《あひだ》に見《み》えました。そこからはもう信濃《しなの》と美濃《みの》の國境《くにさかひ》に近《ちか》いのです。父《とう》さんの田舍《ゐなか》は信濃《しなの》の山國《やまぐに》から平《たひら》な野原《のはら》の多《おほ》い美濃《みの》の方《はう》へ降《おり》て行《ゆ》く峠《たうげ》の一|番《ばん》上《うへ》のところにあつたのです。
さういふ岩《いは》や石《いし》の多《おほ》い峠《たうげ》の上《うへ》に出來《でき》たお城《しろ》のやうな村《むら》ですから、まるで梯子段《はしごだん》の上《うへ》にお家《うち》があるやうに、石垣《いしがき》をきづいては一|軒《けん》づゝお家《うち》が建《た》てゝありました。どちらを向《む》いても坂《さか》ばかりでした。父《とう》さんがお隣《となり》の酒屋《さかや》の方《はう》へ上《のぼ》つて行《ゆ》くにも坂《さか》、お忠《ちう》婆《ばあ》さんといふ人《ひと》の住《す》む家《うち》の方《はう》へ降《お》りて行《ゆ》くにも坂《さか》でした。
この田舍《ゐなか》は水《みづ》に不自由《ふじいう》なところでした。谷《たに》の底《そこ》
前へ 次へ
全86ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング