知《し》らないお婆《ばあ》さんは見《み》かけによらない優《やさ》しい人でして、學校通《がくかうかよ》ひをする生徒《せいと》がかじかんだ手《て》をして居《ゐ》ましたら、それをお婆《ばあ》さんは自分《じぶん》の手《て》で温《あたゝ》めて呉《く》れました。
『まあ、斯樣《こん》なかじかんだ手《て》をして、よく寒《さむ》くありませんね。そのかはり、お前《まへ》さんが遠路《とほみち》を通《かよ》ふものですから、丈夫《ぢやうぶ》さうに成《な》りましたよ。御覽《ごらん》、お前《まへ》さんの頬《ほゝ》ぺたの色《いろ》の好《よ》くなつて來《き》たこと。』
とさう言《い》ひました。
生徒《せいと》は知《し》らない人《ひと》から斯樣《こん》なことを言《い》はれたものですから、そのお婆《ばあ》さんをよく見《み》ましたら、右《みぎ》の手《て》には山《やま》からでも伐《き》つて來《き》たやうな細《ほそ》い木《き》の杖《つえ》をついて、左《ひだり》の手《て》には籠《かご》を提《さ》げて居《ゐ》ました。籠《かご》の中《なか》には、青々《あを/\》とした蕗《ふき》の蕾《つぼみ》が一ぱい入《はひ》つて居《ゐ》ました。そのお婆《ばあ》さんは、まるでお伽話《とぎばなし》の中《なか》にでも出《で》て來《き》さうなお婆《ばあ》さんでした。
『お前《まへ》さんは誰《だれ》ですか。』
と生徒《せいと》が尋《たづ》ねましたら、お婆《ばあ》さんはニツコリしながら、提《さ》げて居《ゐ》る籠《かご》の中《なか》の蕗《ふき》の蕾《つぼみ》を見《み》せまして
『私《わたし》は「冬《ふゆ》」といふものですよ。』
と生徒《せいと》に言《い》つて聞《き》かせました。夫《それ》から、こんな事《こと》も言《い》ひました。
『お家《うち》へ歸《かへ》つたら、父《とう》さんや母《かあ》さんに見《み》てお貰《もら》ひなさい。お前《まへ》さんの頬《ほつ》ぺたの紅《あか》い色《いろ》もこのお婆《ばあ》さんのこゝろざしですよ。』
五五 少年《せうねん》の遊学《いうがく》
父《とう》さんは九つの歳《とし》まで、祖父《おぢい》さんや祖母《おばあ》さんの膝下《ひざもと》に居《ゐ》ましたがその歳《とし》の秋《あき》に祖父《おぢい》さんのいゝつけで、東京《とうきやう》へ學問《がくもん》の修業《しうげふ》に出《で》ることに成《な》りました。父《とう
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