つ》をつけて行《ゆ》く時《とき》はなか/\骨《ほね》が折《を》れますが、一|日《にち》の仕事《しごと》をすまして山道《やまみち》を歸《かへ》つて來《く》るのは樂《たのし》みなものですよ。』
さう馬《うま》が言《い》つて、さも自慢《じまん》さうに首《くび》について居《ゐ》る鈴《すゞ》を鳴《な》らして見《み》せました。父《とう》さんのお家《うち》の前《まへ》は木曾街道《きそかいだう》と言《い》つて、鐵道《てつだう》も汽車《きしや》もない時分《じぶん》にはみんなその道《みち》を歩《ある》いて通《とほ》りました。高《たか》い山《やま》の上《うへ》でおまけに坂道《さかみち》の多《おほ》い所《ところ》ですから荷物《にもつ》はこの通《とほ》り馬《うま》が運《はこ》びました。どうかすると五|匹《ひき》も六|匹《ぴき》も荷物《にもつ》をつけた馬《うま》が續《つゞ》いて父《とう》さんのお家《うち》の前《まへ》を通《とほ》ることもありました。男《をとこ》や女《をんな》の旅人《たびびと》を乘《の》せた馬《うま》が馬方《うまかた》に引《ひ》かれて通《とほ》ることもありました。父《とう》さんの聲《こゑ》を掛《か》けたのは、近所《きんじよ》に飼《か》はれて居《ゐ》る馬《うま》で、毎日々々《まいにち/\》隣村《となりむら》の方《はう》へ荷物《にもつ》を運《はこ》ぶのがこの馬《うま》の役目《やくめ》でした。
馬《うま》が自分《じぶん》のお家《うち》へ歸《かへ》つた時分《じぶん》に父《とう》さんはよく馳《か》け出《だ》して行《い》つて見《み》ました。
『御苦勞《ごくらう》。御苦勞《ごくらう》。』
と馬方《うまかた》は馬《うま》を褒《ほ》めまして、馬《うま》の脊中《せなか》にある鞍《くら》をはづしてやつたり馬《うま》の顏《かほ》を撫《な》でゝやつたりしました。それから馬方《うまかた》は大《おほ》きな盥《たらひ》を持《も》つて來《き》まして、馬《うま》に行水《ぎやうずゐ》をつかはせました。
『どうよ。どうよ。』
と馬方《うまかた》が言《い》ひますと、馬《うま》は片足《かたあし》づゝ盥《たらひ》の中《なか》へ入《い》れます。馬《うま》の行水《ぎやうずゐ》は藁《わら》でもつて、びつしより汗《あせ》になつた身體《からだ》を流《なが》してやるのです。父《とう》さんは馬方《うまかた》の家《うち》の前《まへ》に立《た
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