は中央線の須原駅に近いところにあった。おげんの住慣れた町とは四里ほどの距離にあった。彼女が家を出る時の昂奮はその道のりを汽車で乗って来るまで続いていたし、この医院に着いてもまだ続いていた。しかし日頃信頼する医者の許《もと》に一夜を送って、桑畠《くわばたけ》に続いた病室の庭の見える雨戸の間から、朝靄《あさもや》の中に鶏の声を聞きつけた時は、彼女もホッとした。小山の家のある町に比べたら、いくらかでも彼女自身の生まれた村の方に近い、静かな田舎に身を置き得たという心地もした。今度の養生は仮令《たとえ》半年も前からおげんが思い立っていたこととは言え、一切から離れ得るような機会を彼女に与えた――長い年月の間暮して見た屋根の下からも、十年も旦那の留守居をして孤《ひと》りの閨《ねや》を守り通したことのある奥座敷からも、養子夫婦をはじめ奉公人まで家内一同膳を並べて食う楽みもなくなったような広いがらんとした台所からも。
「御新造さま、大分お早いなし」
と言って婆やが声を掛けた頃は、お新までもおげんの側に集まった。
「お母さんは家に居てもああだぞい」とお新は婆やに言って見せた。「冬でも暗いうちから起きて、
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