って見せずか。どうしておばあさんだって、三吉には負けんぞい」
子供を前に置いて、おげんは蛙の鳴声なぞを真似して見せて戯れるうちに、何時《いつ》の間にか彼女の心は本物の蛙の声の方へ行った。何処かの田圃《たんぼ》の方からでも伝わって来るような、さかんな繁殖の声は人に迫るように聞えるばかりでなく、医院の庭に見える深い草木の感じまでが憂鬱《ゆううつ》で悩ましかった。
「何だか俺はほんとに狂《きちがい》にでも成りそうだ」
とおげんは半分|串談《じょうだん》のように独《ひと》りでそんなことを言って見た。耳に聞く蛙の声はややもすると彼女の父親の方へ――あの父親が晩年の月日を送った暗い座敷牢の格子の方へ彼女の心を誘った。おげんは姉弟《きょうだい》中で一番父親に似ているとも言われた。そんなことまでが平素から気になっていた。どうして四十になっても独り立ちの出来ないような不幸な娘を連れていて――それを思うと、おげんは自分を笑いたかった。彼女はそこに置いてある火鉢から細い真鍮《しんちゅう》の火箸《ひばし》を取って見て、曲げるつもりもなくそれを弓なりに折り曲げた。
「おばあさん――またここのお医者様に怒られ
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