一方に続いた二階の屋根などを見ることが出来た。
「おさださん、わたしも一つお手伝いせず」
 とおげんはそこに立働く弟の連合に言った。秋の野菜の中でも新物の里芋なぞが出る頃で、おげんはあの里芋をうまく煮て、小山の家の人達を悦ばしたことを思出した。その日のおげんは台所のしちりんの前に立ちながら、自分の料理の経験などをおさだに語り聞かせるほど好い機嫌《きげん》でもあった。うまく煮て弟達をも悦ばせようと思うおげんと、倹約一方のおさだとでは、炭のつぎ方でも合わなかった。
 おげんはやや昂奮《こうふん》を感じた。彼女は義理ある妹に炭のつぎ方を教えようという心が先で、
「ええ、とろくさい――私の言うようにして見さっせれ」
 こう言ったが、しちりんの側にある長火箸《ながひばし》の焼けているとも気付かなかった。彼女は掴《つか》ませるつもりもなく、熱い火箸をおさだに掴ませようとした。
「熱」
 とおさだは口走ったが、その時おさだの眼は眼面《まとも》におげんの方を射った。
「気違いめ」
 とその眼が非常に驚いたように物を言った。おさだは悲鳴を揚げないばかりにして自分の母親の方へ飛んで行った。何事かと部屋を出て見る直次の声もした。おげんは意外な結果に呆《あき》れて、皆なの居るところへ急いで行って見た。そこには母親に取縋《とりすが》って泣顔を埋《うず》めているおさだを見た。
「ナニ、何でもないぞや。俺の手が少し狂ったかも知れんが、おさださんに火傷《やけど》をさせるつもりでしたことでは無いで」
 とおげんは言って、直次の養母にもおさだにも詫《わ》びようとしたが、心の昂奮は隠せなかった。直次は笑い出した。
「大袈裟《おおげさ》な真似《まね》をするない。あいつは俺の方へ飛んで来ないでお母さんの方へ飛んで行った」
 とおさだを叱るように言って、復た直次は隣近所にまで響けるような高い声で笑った。
 夕方に、熊吉が用達《ようたし》から帰って来るまで、おげんは心の昂奮を沈めようとして、縁先から空の見える柱のところへ行って立ったり、庭の隅にある暗い山茶花《さざんか》の下を歩いて見たりした。年老いた身の寄せ場所もないような冷たく傷《いた》ましい心持が、親戚の厄介物として見られような悲しみに混って、制《おさ》えても制えても彼女の胸の中に湧《わ》き上り湧き上りした。熊吉が来て、姉弟三人一緒に燈火《あかり》の映《あ
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