かあかと燃えて、台所の障子にも柱にも映っている。いそいそと立ち働くお新が居る。下女が居る。養子も改まった顔付で奥座敷と台所の間を往ったり来たりしている。時々|覗《のぞ》きに来る三吉も居る。そこへおげんの三番目の弟に連れられて、しょんぼりと表口から入って来た人がある。この人が十年も他郷で流浪した揚句に、遠く自分の生れた家の方を指して、年をとってから帰って来たおげんの旦那だ。弟は養子の前にも旦那を連れて御辞儀に行き、おげんの前へも御辞儀に来た。その頃は伜はもうこの世に居なかった。到頭旦那も伜の死目に逢わずじまいであったのだ。伜の娵も暇を取って行った。「御霊《みたま》さま」はまだ自分等と一緒に居て下さるとおげんが思ったのは、旦那にお新を逢わせることの出来た時だった。けれども、これほどのおげんの悦びもそう長くは続かなかった。持って生れた旦那の性分はいくつに成っても変らなかった。旦那が再び自分の生れた家の門を潜《くぐ》る時は、日が暮れてからでなければそれが潜れなかった。そんな思いまでして帰って来た旦那でも、だんだん席が温まって来る頃には茶屋酒の味を思出して、復た若い芸者に関係したという噂《うわさ》がおげんの耳にまで入るようになった。旦那は人の好い性質と、女に弱いところを最後まで持ちつづけて亡くなった。遠い先祖の代からあるという古い襖《ふすま》も慰みの一つとして、女の臥《ね》たり起きたりする場所ときまっていたような深い窓に、おげんは茫然とした自分を見つけることがよくあった。
考えまい、考えまいと思いながら、おげんは考えつづけた。彼女は旦那の生前に、自分がもっと旦那の酒の相手でもして、唄の一つも歌えるような女であったなら、旦那もあれほどの放蕩《ほうとう》はしないで済んだろうか、と思い出して見た。おげんはこんなことも考えた。彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段《はしごだん》から落ちて、ひどく脳を打って、それからあんな発育の後れたものに成ったとは、これまで彼女が家の人達にも、親戚にも、誰に向ってもそういう風にばかり話して来たが、実はあの不幸な娘のこの世に生れ落ちる日から最早ああいう運命の下にあったとは、旦那だけは思い当ることもあったろうと。そればかりではない、彼女自身にも人には言えない深傷《ふかで》を負わせられていた。彼女は長い骨の折れた旦那の留守をした頃に、伜の娵《
前へ
次へ
全35ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング