友社は文章を以て出来たる社なり、若し事業を以て云ふ時は、無論星氏に降参せざるを得ざるにあらずや。星氏より見れば民友子は一個の白面書生なり、即ち事業を以て民友子を視《み》るの標率とするが故なり。民友子は明治の文豪なり、然れども事業を重んずるの眼より見れば、矢張白面の一書生たるにあらずや。之を以て見ても、文学を論ずるに事業を標率とするの非なるは解かるべきに、余が「事業といへる俗界の神」と言ひたる言葉の意味は、星氏を呼びて「眇々たる一代言」と言ひたる記者こそ、能《よ》く御存知なるべけれ。
 ヱモルソンの謂《い》ふ所の Doing(彼は Knower, Doer, Sayer の区別をなせり)の如くならば、吾人は少しも異存なきなり。但し Doing といふ字と事業といふ字とは多少其意義を異にせずや。愛山君に御伺ひ申したし。兎に角、吾人に対して「事業を賤しむ」といふ御冷評は願下《ねがひさげ》にしたく候。
[#地から2字上げ](明治二十六年五月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11
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