賤事業弁
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)賤《いや》しむ

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(例)[#地から2字上げ](明治二十六年五月)

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)抑《そも/\》
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 事業を賤《いや》しむといふ事は「文学界」が受けたる攻撃の一なり。而して此攻撃たるや、恐らく余が「人生相渉論」を誤読したるより起りたる者なるべしと思へば、爰《こゝ》に一言するの止むべからざるを信ずるなり。
 余は先づ「事業」とは如何《いか》なる者なりやを問はざるべからず。次に文学は「事業」といふ標率を以て論ずべき者なりや否やを、問はざる可からず。
 余は文学といふ女神は、寧《むし》ろ老嬢として終るも、俗界の神なる「事業」に嫁《か》することを否むべしと言ひたり。その斯く言ひたるは、「事業」を以て文学を論ずる標率とするを難じたるものにして、事業其れ自身に就きて何とも云はざりしなり。然るに横鎗《よこやり》の人々は己れの事業を侵されしかの如く、頻《しき》りに此事に向つて鋒先を揃へて攻戦するは豈《あに》奇怪ならずや。
 抑《そも/\》、事業といふ字の普通の意義の中には、文学者が文章を書く事業の外のものを含みてあるなり。故に事業を以て文人を論ずるは、其真相を誤るの恐なき能はず。余は愛山君の「頼襄論」を批評したるにあらず、愛山君が頼襄を論ずるの標率として、及びすべての他の文士を論ずるの標率として、其の事業を取らんとするを、怪しみたるのみ。余は此点に於て余の論旨を明かにする為に、西行をもウオーヅオルスをも芭蕉をも引出して、証人に使ひたるなり。蘇峰先生が「熱海だより」の中に、頼襄の批評に長じたること、即ちクリチシズム・ヲブ・ライフに長じたること、を言はれたる時には余も成程と思ひて、従来よりも山陽を重く見る様になりたるなり、余は明白に斯く言ふ、而して言ふを愧《は》ぢざるなり、然れども余が前文は、頼襄自身とは何の関係もなき事を記憶せられよ、「頼襄論」の冒頭数行が面白からぬを以て、即ち事業を標率として文章を論ずるを非なりと思ひしが故に、彼の如くには論ぜしなれ。愛山君が三籟子に与へて、暗に吾人を責めたる書簡の中に、吾人が折々西行芭蕉の名を引出すを怪しみたるは御尤《ごもつとも》なり、然れども、いか
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