持たざれば、
闇のうきよにちなみもあらず。
○みにくしと笑ひたまへど、
いたましとあはれみたまへど、
われは形《かたち》のあるじにて、
形《かたち》はわれのまらうどなれ。
○かりのこの世のかりものと、
かたちもすがたも捨てぬとは、
知らずやあはれ、浮世人《うきよびと》、
なさけあらばそこを立去りね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○こはめづらしきものごひよ、
唖にはあらでものしりの、
乞食《こつじき》のすがたして來たりけり。
いな乞食《こつじき》の物知顏ぞあはれなる。
○誰れかれと言ひあはしつ、
物をもたらし、つどひしに、
物は乞はずに立去れと、
言ふ顏《つら》にくしものしりこじき。
○里もなく家もなき身にありながら、
里もあり家もある身をのゝしるは、
をこなる心のしれものぞ、
乞食《こつじき》のものしりあはれなり。
○世にも人にもすてられはてし、
恥らふべき身を知るや知らずや、
浮世人とそしらるゝわれらは、
汝《いまし》が友ならず、いざ行かなむ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○里の兒等のさてもうるさや、
よしなきことにあたら一夜《ひとや》の、
月のこゝろに背きけり、
うち見る空のうつくしさよ。
○いざ立ちあがり、かなたなる、
小山《こやま》の上の草原《くさはら》に、
こよひの宿をかりむしろ、
たのしく月と眠らなむ。
○立たんとすれば、あしはなえたり、
いかにすべけむ、ふしはゆるめり、
そこを流るゝ清水《しみづ》さへ、
今はこの身のものならず。
○かの山までと思ひしも、
またあやまれる願ひなり。
西へ西へと行く月も、
山の端《は》ちかくなりにけり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○むかしの夢に往來《ゆきゝ》せし、
榮華の里のまぼろしに、
このすがたかたちを寫しなば、
このわれもさぞ哄笑《わら》ひつらむ。
○いまの心の鏡のうちに、
むかしの榮華のうつるとき、
そのすがたかたちのみにくきを、
われは笑ひてあはれむなり。
○むかしを拙なしと言ふも晩《おそ》し、
今をおこぞと言ふもむやくし。
夢も鏡も天《あめ》も地《つち》も、
いまのわが身をいかにせむ。
○物乞ふこともうみはてゝ、
食《た》うべず過ぎしは月あまり、
何事もたゞ忘るゝをたのしみに、
草枕ふたゝび覺《さめ》ぬ眠に入らなむ。
[#改ページ]
みどりご
ゆたかにねむるみどりごは、
うきよの外《そと》の夢を見て、
母のひざをば極樂《ごくらく》の、
たまのうてなと思ふらむ。
ひろき世界《せかい》も世の人の、
心の中《うち》にはいとせまし。
ねむれみどりごいつまでも、
刺《とげ》なくひろきひざの上に。
[#改ページ]
平家蟹
[#ここから4字下げ]
友人隅谷某、西に遊びて平家蟹一個を余が爲に得來りたれば、賦して與ふるとて
[#ここで字下げ終わり]
神々に、
みすてられつゝ海そこに、
深く沈みし是非なさよ。
世の態は、
小車のめぐりめぐりて、
うつりかはりの跡留めぬに、
われのみは、
いつの世までもこのすがた、
つきぬ恨みをのこすらむ。
かくれ家を、
しほ路の底に求めても、
心やすめむ折はなく。
しらはたの、
源氏にあらぬあまびとの、
何を惡《にく》しと追ひ來《く》らむ。
まどかなる、
月は波上を照せども、
この水底は常世暗《とこよやみ》。
あはれやな、
かしらの角《つの》はとがりまさり、
前額《ひたひ》のしわはいやふかし。
ふたもとの、
はさみはあれどこの恨み、
斷ちきる術《すべ》はなかりけり。
夢なりし、
むかしの榮華は覺めたれど、
いまの現實《まこと》はいつ覺めむ。
[#改ページ]
髑髏舞
[#ここから4字下げ]
某日、地學教會に於て見し幻燈によりて想を構ふ。
[#ここで字下げ終わり]
うたゝねのかりのふしどにうまひして
としつき經ぬる暗の中。
枕邊に立ちける石の重さをも
物の數とも思はじな。
月なきもまた花なきも何かあらん、
この墓中《おくつき》の安らかさ。
たもとには落つるしづくを拂ねば、
この身も溶くるしづくなり。
朽つる身ぞこのまゝにこそあるべけれ、
ちなみきれたる浮世の塵。」
めづらしや今宵は松の琴きこゆ、
遠《をち》の水音《みおと》も面白し。
深々《しん/\》と更けわたりたる眞夜中に、
鴉の鳴くはいぶかしや。
何にもあれわが故郷《ふるさと》の光景《ありさま》を
訪はゞいかにと心うごく。
ほられたる穴の淺きは幸なれや。
墓にすゑたる石輕み。
いでや見むいかにかはれる世の態を、
小笹蹈分け歩みてむ。
世の中は秋の紅葉か花の春、
いづれを問はぬ夢のうち。」
暗なれや暗なれや實に春秋も
あやめもわかぬ暗の世かな。
月もなく星も名殘の空の間《ま》に、
雲のうごくもめづらしや。
天《あめ》を衝く立樹にすがるつたかつら、
うらみあり氣に垂れさがり。
繁り生ふ蓬はかたみにからみあひ、
毒のをろちを住ますらめ。
思ひ出るこゝぞむかしの藪なりし、
いとまもつげでこのわが身、
あへなくも落つる樹の葉の連となり
死出の旅路にいそぎける。」
すさまじや雲を蹴て飛ぶいなづまの
空に鬼神やつどふらむ。
寄せ來《きた》るひゞき怖ろし鳴雷《なるかみ》の
何を怒りて騷ぐらむ。
鳴雷《なるかみ》は髑髏厭ふて哮《たけ》るかや、
どくろとてあざけり玉ひそよ。
昔はと語るもをしきことながら、
今の髑髏もひとたびは、
百千《もゝち》の男《をのこ》なやませし今小町とは
うたはれし身の果ぞとよ。
忘らるゝ身よりも忘るゝ人心、
きのふの友はあらずかや。」
人あらば近う寄れかし來れかし、
むかしを忍ぶ人あらば。
天地《あめつち》に盈《み》つてふ精も近よれよ、
見せむひとさし舞ふて見せむ。
舞ふよ髑髏めづらしや髑髏の舞、
忘れはすまじ花小町。
高く跳ね輕く躍れば面影の、
霓裳羽衣を舞ひをさめ。
かれし咽うるほはさんと溪の面《おも》、
うつるすがたのあさましや。
はら/\と落つるは葉末の露ならで、
花の髑髏のひとしづく。」
うらめしや見る人なきもことはりぞ、
昨日にかはれる今日の舞。
纏頭《てんとう》の山を成しける夢の跡、
覺めて恥かし露の前。
この身のみ秋にはあらぬ野の末の
いづれの花か散らざらむ。
うたてやなうきたる節の呉竹に、
迷はせし世はわが迷ひ。
忘らるゝ身も何か恨みむ悟りては、
雲の行來に氣もいそぐ。
暫し待てやよ秋風よ肉なき身ぞ、
月の出ぬ間《ま》にいざ歸《かへ》らむ。
[#改ページ]
古藤菴に遠寄す
一輪《いちりん》花の咲けかしと、
願ふ心は君の爲め。
薄雲《はくうん》月を蔽ふなと、
祈るこゝろは君の爲め。
吉野の山の奧深く、
よろづの花に言傳《ことづて》て、
君を待ちつゝ且つ咲かせむ。
[#改ページ]
彈琴
悲しとも樂しとも、
浮世を知らぬみどりごの、
いかなればこそ琵琶の手の、
うごくかたをば見凝るらむ。
何を笑むなる、みどりごは、
琵琶彈く人をみまもりて。
何をか囁くみどりごは、
琵琶の音色を聞き澄みて。
浮世を知らぬものさへも、
浮世の外の聲を聞く。
こゝに音づれ來し聲を、
いづこよりとは問ひもせで。
破れし窓に月滿ちて、
埋火かすかになりゆけり、
こよひ一夜《ひとよ》はみどりごに、
琵琶のまことを語りあかさむ。
[#改ページ]
彈琴と嬰兒
何を笑《ゑ》むなるみどりごは、
琵琶|彈《ひ》く人をみまもりて。
何をたのしむみどりごは、
琵琶の音色《ねいろ》を聞き澄《す》みて。
浮世を知らぬものさへも、
浮世の外《そと》の聲を聞くなり。
こゝに音づれ來《き》し聲を、
いづくよりとは問ひもせで。
破れし窓に月滿ちて、
埋火《うもれび》かすかになり行けり。
こよひ一夜《ひとよ》はみどりごに、
琵琶の眞理《まこと》を語り明かさむ。
[#改ページ]
螢
ゆふべの暉《ひかり》をさまりて
まづ暮れかゝる草陰に
はつかに影を點《しる》せども
なほ身を愧づる景色あり
羽虫を逐ふて細川の
棧瀬をはしる若鮎が
靜まる頃やほたる火は
低く水邊をわたり行く
腐草《ふさう》に生を享《う》けし身の
月の光に照《てら》されて
もとの草にもかへらずに
たちまち空《そら》に歸りけり
[#改ページ]
ほたる
ゆふべの暉《ひかり》をさまりて、
まづ暮れかゝる草陰に、
わづかに影を點《しる》せども、
なほ身を恥づるけしきあり。
羽虫を逐ふて細川の、
棧瀬をはしる若鮎が、
靜まる頃やほたる火は、
低く水邊をわたり行く。
腐草《ふさう》に生をうくる身の、
かなしや月に照らされて、
もとの草にもかへらずに、
たちまち空《そら》に消えにけり。
[#改ページ]
蝶のゆくへ
舞ふてゆくへを問ひたまふ、
心のほどぞうれしけれ、
秋の野面をそこはかと、
尋ねて迷ふ蝶が身を。
行くもかへるも同じ關、
越え來し方に越えて行く。
花の野山に舞ひし身は、
花なき野邊も元の宿。
前もなければ後もまた、
「運命《かみ》」の外には「我」もなし。
ひら/\/\と舞ひ行くは、
夢とまことの中間《なかば》なり。
[#改ページ]
眠れる蝶
けさ立ちそめし秋風に、
「自然《しぜん》」のいろはかはりけり。
高梢《たかえ》に蝉の聲細く、
茂草《しげみ》に蟲の歌悲し。
林には、
鵯《ひよ》のこゑさへうらがれて、
野面には、
千草の花もうれひあり。
あはれ、あはれ、蝶一羽、
破れし花に眠れるよ。
早やも來ぬ、早やも來ぬ秋、
萬物《ものみな》秋となりにけり。
蟻はおどろきて穴《あな》索《もと》め、
蛇はうなづきて洞《ほら》に入る。
田つくりは、
あしたの星に稻を刈り、
山樵《やまがつ》は、
月に嘯むきて冬に備ふ。
蝶よ、いましのみ、蝶よ、
破れし花に眠るはいかに。
破れし花も宿|假《か》れば、
運命《かみ》のそなへし床《とこ》なるを。
春のはじめに迷ひ出で、
秋の今日まで醉ひ醉ひて、
あしたには、
千よろづの花の露に厭き、
ゆふべには、
夢なき夢の數を經ぬ。
只だ此のまゝに『寂《じやく》』として、
花もろともに滅《き》えばやな。
[#改ページ]
雙蝶のわかれ
ひとつの枝に雙《ふた》つの蝶、
羽を收めてやすらへり。
露の重荷に下垂るゝ、
草は思ひに沈むめり。
秋の無情に身を責むる、
花は愁ひに色褪めぬ。
言はず語らぬ蝶ふたつ、
齊しく起ちて舞ひ行けり。
うしろを見れば野は寂《さび》し、
前に向へば風|冷《さむ》し。
過ぎにし春は夢なれど、
迷ひ行衛は何處ぞや。
同じ恨みの蝶ふたつ、
重げに見ゆる四《よつ》の翼《はね》。
雙び飛びてもひえわたる、
秋のつるぎの怖ろしや。
雄《を》も雌《め》も共にたゆたひて、
もと來し方へ悄れ行く。
もとの一枝《ひとえ》をまたの宿、
暫しと憇ふ蝶ふたつ。
夕《ゆふ》告《つ》げわたる鐘の音に、
おどろきて立つ蝶ふたつ。
こたびは別れて西ひがし、
振りかへりつゝ去りにけり。
[#改ページ]
露のいのち
待ちやれ待ちやれ、その手は元へもどしやんせ。無殘な事をなされまい。その手の指の先にても、これこの露にさはるなら、たちまち零《お
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング