北村透谷詩集
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)伴《とも》となるもの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)筆|措《お》けかしと

[#]:入力者注 主に外字の注記や傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)思ひ/\
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目次

夢中の夢
朝靄の歌
春駒
春は來ぬ
地龍子
みゝずのうた
一點星
孤飛蝶
ゆきだふれ
みどりご
平家蟹
髑髏舞
古藤菴に遠寄す
彈琴
彈琴と嬰兒

ほたる
蝶のゆくへ
眠れる蝶
雙蝶のわかれ
露のいのち
[#改ページ]

  夢中の夢


嗚呼かく弱き人ごゝろ、
嗚呼かく強き戀の情、
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  朝靄の歌


もらすなよあだうつくしの花、
消ゆる汝共に散るものを、
うつくしとても幾日經ぬべき、
盛りと見しははやすたり
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  春駒


   第一 門出
北風に窓閉されて朝夕の
  伴《とも》となるもの書《ふみ》と爐火《ゐろり》、
軒下の垂氷《つらゝ》と共に心《むね》凍《こほ》り
  眺めて學ぶ雪達摩、
   けふまでこそは梅櫻、
   霜の惱みに默しけれ。

霜柱きのふ解けたる其儘に
  朝風《あさかぜ》ぬるしけふ夜明け、
書《ふみ》の窓うぐひすの音《ね》に開かれて、
  顏さし出《だ》せば梅の香や、
   南か北か花見えず、
   いづこの杜《もり》に風の宿。

耳澄まし暫く聞けば鶯《とり》の音《ね》は
  「春」てふものをおとづれぬ。
  × × × × × × × ×
書《ふみ》とぢよ、筆|措《お》けかしといざなふは
  いづこに我をさそふらん。
   冬に慣れにし氣《き》は結び、
   杖ひき出づる力なし。

        〔この間見えず〕
  ひとむち當てゝ急がなん。
   花ある方《かた》よ、わが行くは、
   ゆふべの夢の跡戀し。


   第二 霞の中
來《こ》し道は細川までを限りにて
  霞に迷ひうせにけり、
春の駒ひとこゑ高く嘶けば、
  吾が身もやがて烟《けむ》の中《うち》、
   戀にむせびてうなだるゝ、
   招きし花はいづこぞや。

夢にまでうつりし花の面影を
  訪ね來て見れば跡もなし、
深山路の人家《ひとや》もあらず聲もせぬ、
  廣野《ひろの》の中《なか》にわれひとり;
   かこつ泪《なみだ》や水の音、
   花ある方にそゝげかし。

おりたちて清水飮まする駒の背《せ》を
  撫でさすりつゝ又一ト鞭、
勇めどもいづれをあてとしらま弓;
  思ひ亂れて見る梢《こずゑ》に、
   鳥の鳴く音《ね》ぞかしましき。

立ち籠むる霞の彼方《かなた》に驅入れば、
  小高《こだか》き山に岩とがり、
枯枝《かれえだ》は去歳《こぞ》の嵐に吹き折られ、
  其まゝ元梢《もとえ》に垂れかゝる;
   さびしさ凄《すご》し、たれやたれ、
   われを欺き、春告げし。

駒かへしこなたの森の下道《したみち》を、
  急ぎ降《くだ》れば春雨《はるさめ》の、
振《ふ》りいでゝしよぼぬるゝわが足元を、
  かすかにはたく羽《はね》の音《おと》、
   かなたへ隱れて間《ま》もあらず、
   鳴く聲きけば雉子《きゞす》なり。
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  春は來ぬ


今日はじめて春のあたゝかさ覺えぬ、
風なく日光いつもよりほがらなり、
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  地龍子


行脚の草鞋紐ゆるみぬ。
胸にまつはる悲しの戀も
思ひ疲るゝまゝに衰へぬ。
と見れば思ひまうけぬ所に
目新らしき花の園。

人のいやしき手にて作られし
物と變りて、百種の野花
思ひ/\に咲けるぞめでたき。
何やらん花の根に
うごめく物あり。
眼を下向けて見れば
地龍子《みゝず》なり。
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  みゝずのうた


[#ここから4字下げ]
この夏行脚してめぐりありけるとき、或朝ふとおもしろき草花の咲けるところに出でぬ。花を眺むるに餘念なき時、わが眼に入れるものあり、これ他の風流漢ならずして一蚯蚓なり。をかしきことありければ記しとめぬ。
[#ここで字下げ終わり]

わらじのひものゆるくなりぬ、
まだあさまだき日も高からかに、
ゆふべの夢のまださめやらで、
いそがしきかな吾が心、さても雲水の
身には恥かし夢の跡。

つぶやきながら結び果てゝ立上り、
歩むとすれば、いぶかしきかな、
われを留むる、今を盛りの草の花、
わが魂は先づ打ち入りて、物こそ忘れめ、
この花だにあらばうちもえ死なむ。

そこはふは誰《た》ぞ、わが花の下を、
答へはあらず、はひまはる、
わが花盜む心なりや、おのれくせもの、
思はずこぶしを打ち擧げて
うたんとすれば、「やよしばし。

「おのれは地下に棲みなれて
花のあぢ知るものならず;
今朝わが家を立出でゝより、
あさひのあつさに照らされて、
今唯だ歸らん家を求むるのみ。

「おのれは生れながらにめしひたり、
いづこをば家と定むるよしもなし。
朝出る家は夕べかへる家ならず、
花の下にもいばらの下にも
わが身はえらまず宿るなり。

「おのれは生れながらに鼻あらず、
人のむさしといふところをおのれは知らず、
人のちりあくた捨つるところに
われは極樂の露を吸ふ、
こゝより樂しきところあらず。

「きのふあるを知らず
あすあるをあげつらはず、
夜こそ物は樂しけれ、
草の根に宿借りて
歌とは知らず歌うたふ。」

やよやよみゝず説くことを止めて
おのがほとりに仇あるを見よ;
智慧者のほまれ世に高き
蟻こそ來たれ、近づきけれ、
心せよ、いましが家にいそぎ行きね。

「君よわが身は仇を見ず、
さはいへあつさの堪へがたきに、
いざかへんなん、わが家に、
そこには仇も來らまじ、安らかに、
またひとねむり貪らん。」

そのこといまだ終らぬに、
かしこき仇は早や背に上れり、
こゝを先途と飛び躍る、
いきほひ猛し、あな見事、
仇は土にぞうちつけらる。

あな笑止や小兵者、
今は心も強しいざまからむ;
うちまはる花の下、
惜しやいづこも土かたし、
入るべき穴のなきをいかん。

またもや仇の來らぬうちと
心せくさましをらしや;
かなたに迷ひ、こなたに惑ひ、
ゆきてはかへり、かへりては行く、
まだ歸るべき宿はなし。

やがて痍《いたみ》もおちつきし
敵はふたゝびまとひつく;
こゝぞと身を振り跳ねをどれば、
もろくも再びはね落され、
こなたを向きて後退《あとじ》さる。

二つ三つ四ついつしかに、敵の數の、
やうやく多くなりけらし、
こなたは未だ家あらず、
敵の陣は落ちなく布きて
こたびこそはと勇むつはもの。

疲れやしけむ立留まり、
こゝをいづこと打ち案ず;
いまを機會《しほ》ぞ、かゝれと敵は
むらがり寄るを、あはれ悟らず、
たちまち背には二つ三つ。

振り拂ひて行かんとすれば;
またも寄せ來る新手のつはもの;
蹈み止りて戰はんとすれば
寄手は雲霞のごとくに集りて、
幾度跳ねても拂ひつくせず。

あさひの高くなるまゝに、
つちのかわきはいやまして、
のどをうるほす露あらず、
悲しやはらばふ身にしあれば
あつさこよなう堪へがたし。

受けゝる手きずのいたみも
たゝかふごとになやみを増しぬ。
今は拂ふに由もなし、
爲すまゝにせよ、させて見む、
小兵奴らわが背にむらがり登れかし。

得たりと敵は馳せ登り、
たちまちに背を葢ふほど;
くるしや許せと叫ぶとすれど、
聲なき身をばいかにせむ、
せむ術なくてたふれしまゝ。

おどろきあきれて手を差し伸れば
パツと散り行く百千の蟻;
はや事果しかあはれなる、
先に聞し物語に心奪はれて、
救ひ得させず死なしけり。

ねむごろに土かきあげ、
塵にかへれとはうむりぬ。
うらむなよ、凡そ生とし生けるもの
いづれ塵にかへらざらん、
高きも卑きもこれを免《のが》れじ。

起き上ればこのかなしさを見ぬ振に、
前にも増せる花の色香;
汝《いまし》もいつしか散りざらむ、
散るときに思ひ合せよこの世には
いづれ絶えせぬ命ならめや。
[#改ページ]

  一點星


眠りては覺め覺めては眠る秋の床、
結びては消え消えては結ぶ夢の跡。
  油や盡きし燈火の見る見る暗に成り行くに、
  なかなかに細りは行かぬ胸の思ぞあやしけれ。
 罪なしと知れどもにくき枕をば、
 かたへに抛《な》げて膝を立つれど、
 千々に亂るゝ麻糸の思ひを消さむ由はなし。
今見し夢を繰り回へし、
うらなふ行手の浪高く、
迷ひそめにし戀の港は何所なるらむ。
 立出て※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]《まど》をひらけば外《と》の方は、
 ゆきゝいそがし暴風雨を誘《さそ》ふ雲の足、
 あめつちの境もわかで黒みわたるぞ物凄き。
 しばし呆れて眺むれば、
頭《かしら》の上にうすらぐ雲の絶間より、
あらはるゝ心あり氣の星一つ。
たちまちに晴るゝ思ひに憂さも散りぬ。
 人は眠り世は靜かなる小夜中に、
 音づるゝ君はわが戀ふ人の姿にぞありける。
[#改ページ]

  孤飛蝶


 つれなき蝶のわびしげなる。いつしか夏も夕影《ゆふかげ》の、葉風すゞしき庭面《にはおも》にかろく、浮きたるそのすがた。黒地《くろぢ》に斑《まだら》しろかねの、雙葉《もろは》を風にうちまかせ花ある方《かた》をたづね顏。
 春の野に迷ひ出でたはつい昨日《きのふ》、旭日《あさひ》にうつる菜の花に、うかるゝともなく迷ふともなく、廣野《ひろの》を狹《せ》まく今日《けふ》までは。思へば今日《けふ》までは怪《あや》しく過ぎにけり。いつのまに春は過ぎつゝ夏も亦た、あしたの宿《やど》をいかにせむ。
 とは見る人の杞憂《うれひ》にて、蝴蝶はひたすら花を尋ね舞ふ。西へ行くかと見れば東《ひがし》へかへり、東へ飛んでは西へ舞ひもどる。うしろの庭をあさりめぐりて前なる池を一とまはり。秋待顏《あきまちがほ》の萩の上葉《うはば》にいこひもやらず、けさのあはれのあさがほにふたゝび三《み》たび羽《は》をうちて再《ま》た飛び去りて宇宙《ちう》に舞ふ。
 たれか宇宙《ちう》に迷はぬものやあらむ。あしたの雨|夕《ゆふ》べの風|何《いづ》れ心をなやめぬものやあるべき。わびしく舞へるゆふべの蝶よひとりなるはいましのみかは。われもさびしくこの夏の、たそがれの景色《けしき》に惑《まど》ふてあるものを。
 秋風《あきかぜ》の樹葉《このは》をからさんはあすのこと。野も里もなべてに霜の置き布《し》けば草のいのちも消えつきて、いましが宿もなかるべし。花をあさるは今のまの、あはれ浮世の夢なりけり。黄金《わうごん》積むもの、權威《ちから》あるもの、たゞしは玉のかんばせの佳人《たをやめ》とても、この夢に、もるゝはあらじ、あなおろかや。
[#改ページ]

  ゆきだふれ


[#ここから4字下げ]
病床にありての作なるからに調《てう》も想《さう》も常にまして整はざるところ多し。讀者の寛恕を乞ふになむ。
[#ここで字下げ終わり]

○瘠せにやせたるそのすがた、
 枯れにかれたるそのかたち、
   何を病みてかさはかれし、
   何をなやみて左《さ》はやせし。
○みにくさよ、あはれそのすがた、
 いたましや、あはれそのかたち、
   いづくの誰れぞ何人《なにびと》ぞ。
   里はいづくぞ、どのはてぞ。
○親はあらずや子もあらずや、
 妻もあらずや妹《いも》もあらずや、
   あはれこの人もの言はず、
   ものを言はぬは唖ならむ。
○唖にもあらぬ舌あらば、
 いかにたびゞとかたらずや。
   いづくの里を迷ひ出《で》て、
   いづくの里に行くものぞ。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○いづこよりいづこへ迷ふと、
 たづぬる人のあはれさよ。
   家ありと思ひ里ありと、
   定むる人のおろかさよ。
○迷はぬはれを迷ふとは。
 迷へる人のあさましさ。
   親も兒も妻も妹《いもと》も
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