や、おのれくせもの、
思はずこぶしを打ち擧げて
うたんとすれば、「やよしばし。

「おのれは地下に棲みなれて
花のあぢ知るものならず;
今朝わが家を立出でゝより、
あさひのあつさに照らされて、
今唯だ歸らん家を求むるのみ。

「おのれは生れながらにめしひたり、
いづこをば家と定むるよしもなし。
朝出る家は夕べかへる家ならず、
花の下にもいばらの下にも
わが身はえらまず宿るなり。

「おのれは生れながらに鼻あらず、
人のむさしといふところをおのれは知らず、
人のちりあくた捨つるところに
われは極樂の露を吸ふ、
こゝより樂しきところあらず。

「きのふあるを知らず
あすあるをあげつらはず、
夜こそ物は樂しけれ、
草の根に宿借りて
歌とは知らず歌うたふ。」

やよやよみゝず説くことを止めて
おのがほとりに仇あるを見よ;
智慧者のほまれ世に高き
蟻こそ來たれ、近づきけれ、
心せよ、いましが家にいそぎ行きね。

「君よわが身は仇を見ず、
さはいへあつさの堪へがたきに、
いざかへんなん、わが家に、
そこには仇も來らまじ、安らかに、
またひとねむり貪らん。」

そのこといまだ終らぬに、
かしこき仇は早や背に上れり、
こゝを先途と飛び躍る、
いきほひ猛し、あな見事、
仇は土にぞうちつけらる。

あな笑止や小兵者、
今は心も強しいざまからむ;
うちまはる花の下、
惜しやいづこも土かたし、
入るべき穴のなきをいかん。

またもや仇の來らぬうちと
心せくさましをらしや;
かなたに迷ひ、こなたに惑ひ、
ゆきてはかへり、かへりては行く、
まだ歸るべき宿はなし。

やがて痍《いたみ》もおちつきし
敵はふたゝびまとひつく;
こゝぞと身を振り跳ねをどれば、
もろくも再びはね落され、
こなたを向きて後退《あとじ》さる。

二つ三つ四ついつしかに、敵の數の、
やうやく多くなりけらし、
こなたは未だ家あらず、
敵の陣は落ちなく布きて
こたびこそはと勇むつはもの。

疲れやしけむ立留まり、
こゝをいづこと打ち案ず;
いまを機會《しほ》ぞ、かゝれと敵は
むらがり寄るを、あはれ悟らず、
たちまち背には二つ三つ。

振り拂ひて行かんとすれば;
またも寄せ來る新手のつはもの;
蹈み止りて戰はんとすれば
寄手は雲霞のごとくに集りて、
幾度跳ねても拂ひつくせず。

あさひの高くなるまゝに、
つちのかわきはいやまして、
のどをうるほす露あらず、
悲しやはらばふ身にしあれば
あつさこよなう堪へがたし。

受けゝる手きずのいたみも
たゝかふごとになやみを増しぬ。
今は拂ふに由もなし、
爲すまゝにせよ、させて見む、
小兵奴らわが背にむらがり登れかし。

得たりと敵は馳せ登り、
たちまちに背を葢ふほど;
くるしや許せと叫ぶとすれど、
聲なき身をばいかにせむ、
せむ術なくてたふれしまゝ。

おどろきあきれて手を差し伸れば
パツと散り行く百千の蟻;
はや事果しかあはれなる、
先に聞し物語に心奪はれて、
救ひ得させず死なしけり。

ねむごろに土かきあげ、
塵にかへれとはうむりぬ。
うらむなよ、凡そ生とし生けるもの
いづれ塵にかへらざらん、
高きも卑きもこれを免《のが》れじ。

起き上ればこのかなしさを見ぬ振に、
前にも増せる花の色香;
汝《いまし》もいつしか散りざらむ、
散るときに思ひ合せよこの世には
いづれ絶えせぬ命ならめや。
[#改ページ]

  一點星


眠りては覺め覺めては眠る秋の床、
結びては消え消えては結ぶ夢の跡。
  油や盡きし燈火の見る見る暗に成り行くに、
  なかなかに細りは行かぬ胸の思ぞあやしけれ。
 罪なしと知れどもにくき枕をば、
 かたへに抛《な》げて膝を立つれど、
 千々に亂るゝ麻糸の思ひを消さむ由はなし。
今見し夢を繰り回へし、
うらなふ行手の浪高く、
迷ひそめにし戀の港は何所なるらむ。
 立出て※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]《まど》をひらけば外《と》の方は、
 ゆきゝいそがし暴風雨を誘《さそ》ふ雲の足、
 あめつちの境もわかで黒みわたるぞ物凄き。
 しばし呆れて眺むれば、
頭《かしら》の上にうすらぐ雲の絶間より、
あらはるゝ心あり氣の星一つ。
たちまちに晴るゝ思ひに憂さも散りぬ。
 人は眠り世は靜かなる小夜中に、
 音づるゝ君はわが戀ふ人の姿にぞありける。
[#改ページ]

  孤飛蝶


 つれなき蝶のわびしげなる。いつしか夏も夕影《ゆふかげ》の、葉風すゞしき庭面《にはおも》にかろく、浮きたるそのすがた。黒地《くろぢ》に斑《まだら》しろかねの、雙葉《もろは》を風にうちまかせ花ある方《かた》をたづね顏。
 春の野に迷ひ出でたはつい昨日《きのふ》、旭日《あさひ》にうつる菜の花に、うかるゝともなく迷ふともなく、廣野《ひろの》を狹《せ》まく今日《け
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