りし花の面影を
  訪ね來て見れば跡もなし、
深山路の人家《ひとや》もあらず聲もせぬ、
  廣野《ひろの》の中《なか》にわれひとり;
   かこつ泪《なみだ》や水の音、
   花ある方にそゝげかし。

おりたちて清水飮まする駒の背《せ》を
  撫でさすりつゝ又一ト鞭、
勇めどもいづれをあてとしらま弓;
  思ひ亂れて見る梢《こずゑ》に、
   鳥の鳴く音《ね》ぞかしましき。

立ち籠むる霞の彼方《かなた》に驅入れば、
  小高《こだか》き山に岩とがり、
枯枝《かれえだ》は去歳《こぞ》の嵐に吹き折られ、
  其まゝ元梢《もとえ》に垂れかゝる;
   さびしさ凄《すご》し、たれやたれ、
   われを欺き、春告げし。

駒かへしこなたの森の下道《したみち》を、
  急ぎ降《くだ》れば春雨《はるさめ》の、
振《ふ》りいでゝしよぼぬるゝわが足元を、
  かすかにはたく羽《はね》の音《おと》、
   かなたへ隱れて間《ま》もあらず、
   鳴く聲きけば雉子《きゞす》なり。
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  春は來ぬ


今日はじめて春のあたゝかさ覺えぬ、
風なく日光いつもよりほがらなり、
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  地龍子


行脚の草鞋紐ゆるみぬ。
胸にまつはる悲しの戀も
思ひ疲るゝまゝに衰へぬ。
と見れば思ひまうけぬ所に
目新らしき花の園。

人のいやしき手にて作られし
物と變りて、百種の野花
思ひ/\に咲けるぞめでたき。
何やらん花の根に
うごめく物あり。
眼を下向けて見れば
地龍子《みゝず》なり。
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  みゝずのうた


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この夏行脚してめぐりありけるとき、或朝ふとおもしろき草花の咲けるところに出でぬ。花を眺むるに餘念なき時、わが眼に入れるものあり、これ他の風流漢ならずして一蚯蚓なり。をかしきことありければ記しとめぬ。
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わらじのひものゆるくなりぬ、
まだあさまだき日も高からかに、
ゆふべの夢のまださめやらで、
いそがしきかな吾が心、さても雲水の
身には恥かし夢の跡。

つぶやきながら結び果てゝ立上り、
歩むとすれば、いぶかしきかな、
われを留むる、今を盛りの草の花、
わが魂は先づ打ち入りて、物こそ忘れめ、
この花だにあらばうちもえ死なむ。

そこはふは誰《た》ぞ、わが花の下を、
答へはあらず、はひまはる、
わが花盜む心なり
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