旧世界の中に置かざりしなり。彼は平穏なる大改革家なり、然れども彼の改革は寧ろ外部の改革にして、国民の理想を嚮導《きやうだう》したるものにあらず。此時に当つて福沢氏と相対して、一方の思想界を占領したるものを、敬宇先生とす。
敬宇先生は改革家にあらず、適用家なり。静和なる保守家にして、然も泰西の文物を注入するに力を効《いた》せし人なり。彼の中には東西の文明が狭き意味に於て相調和しつゝあるなり。彼は儒教道教を其の末路に救ひたると共に、一方に於ては泰西の化育を適用したり。彼は其の儒教的支那思想を以てスマイルスの「自助論」を崇敬[#「崇敬」に傍点]したり。彼に於ては正直なる採択[#「採択」に傍点]あり、熱心なる事業[#「事業」に傍点]はなし、温和なる崇敬[#「崇敬」に傍点]はあり、執着なる崇拝[#「崇拝」に傍点]はなし。彼をして明治の革命の迷児とならしめざるものは、此適用[#「適用」に傍点]、此採択[#「採択」に傍点]、此崇敬[#「崇敬」に傍点]あればなり。多数の漢学思想を主意とする学者の中に挺立して、能く革命の気運に馴致《じゆんち》し、明治の思想の建設に与《あづか》つて大功ありしものは、実に
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