藉と保全とに過ぐるなし、文学も其直接の目的は此二者を外にすること能はず。文学の種類は多々ありとも、この、直接の目的に外れたるものは文学にあらざるなり、而して何をか尤もこの目的に適《かな》ひたるものとすべきかは、此本題の外にあり。
徳川時代文学の真相は、其時代を論ずるに当りて詳《つまびら》かに研究すべし、然れども余は既に逆路より余の研究を始めたり、極めて粗雑に明治文学の大躰を知らんこと、余が今日の題目なり。父を知らずして能く児を知るは稀れなり。之を以て余は今日に於て、甚だ乱雑なる研究法を以て、徳川文学が明治文学に伝へたる性質の一二を観察せんと欲す。
文学の最初は自然の発生なり、人に声あり、人に目あると同時に、文学は発生すべきものなり、然れども其発達は、人生の機運に伴ふが故に長育するものなり、能く人生を楽ましめ、能く人生に功あるものは、人間に連れて進歩すべき文学なり。之を以て一国民の文学は其時代を出《いづ》ること能はざるなり、時代の精神は文学を蔽ふものなり、人は周囲によりて生活す、其声も、其目も、周囲を離るゝことは断じて之なしと云ふも不可なかるべし。
徳川氏の前には文学は仏門の手に属
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