に一任するものなるか。吾人は諾する能はず。別に精神なるものあり、人間の覚醒は即ち精神の覚醒にして、人間の睡眠は即ち精神の睡眠なり、倫理道徳は人間を盲目ならしむるものにあらずして、人間の精神に愬《うつた》ふるものならずんばあらず、高大なる事業は境遇等によりて(絶対的に)生ずるものにあらずして、精神の霊動に基くものならざるべからず、人間の窮通は機会の独断すべきものにあらずして、精神の動静に因するものならざるべからず。精神は自《みづか》ら存するものなり、精神は自ら知るものなり、精神は自ら動くものなり、然れども精神の自存、自知、自動は、人間の内にのみ限るべきにあらず、之と相照応するものは他界にあり、他界の精神は人間の精神を動かすことを得べし、然れども此は人間の精神の覚醒の度に応ずるものなるべし。かるが故に人間を記録する歴史は、精神の動静を記録するものならざるべからず、物質の変遷は精神に次ぎて来るものなるが故に、之を苟且《かりそめ》にすべしと云《いふ》にはあらねど、真正の歴史の目的は、人間の精神を研究するにあるべし。人生実に無辺なり、然も意味なき無辺にあらず、畢竟するに精神の自由の為に砂漠を旅するものなり、希望爰に存し、進歩爰に萌《きざ》すなり、之なくんば凡ての事皆な虚偽なり。
文学は人間と無限とを研究する一種の事業なり、事業としては然り、而して其起因するところは、現在の「生」に於て、人間が自らの満足を充さんとする欲望を填《ふさ》ぐ為にあるべし。文学は快楽を人生に備ふるものなり、文学は保全を人生に補ふものなり。然れども歴史上にて文学を研究するには、そを人生の鏡とし、そを人生の欲望と満足の像影として見ざるべからず。人生は文学史の中に其骸骨を留むるものなり、その宗教も、その哲学も、文学史の中に散漫たる形にて残るもの也、その欲望も、其満足も、文学史の上には蔽ふべからざる事実となるなり、而して吾人は、その欲望よりも、其満足よりも、其状態よりも、第一に人生の精神を知らざるべからず、吾人は観察[#「観察」に傍点]なるものゝ甚だ重んずべきを認む、然れども状態《ステート》を観察するに先ちて、赤裸々の精神を視《み》ざるべからず、認識せざるべからず、然かる後にその精神の活動を観察せざる可からず。
精神は終古一なり、然れども人生は有限なり、有限なるものゝ中にありて無限なるものゝ趣きを変ゆ。東洋
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