漫罵
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)一夕《いつせき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)人心|自《おのづか》ら

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ](明治二十六年十月)

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)悉《こと/″\》く
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 一夕《いつせき》友と与《とも》に歩して銀街を過ぎ、木挽町《こびきちやう》に入らんとす、第二橋辺に至れば都城の繁熱漸く薄らぎ、家々の燭影《しよくえい》水に落ちて、はじめて詩興生ず。われ橋上に立つて友を顧りみ、同《とも》に岸上の建家を品す。或は白堊《はくあ》を塗するあり、或は赤瓦を積むもあり、洋風あり、国風あり、或は半洋、或は局部に於て洋、或は全く洋風にして而して局部のみ国風を存するあり。更に路上の人を観るに、或は和服、或は洋服、フロックあり、背広あり、紋付あり、前垂あり。更にその持つものを見るに、ステッキあり、洋傘あり、風呂敷あり、カバンあり。爰《こゝ》に於て、われ憮然《ぶぜん》として歎ず、今の時代に沈厳高調なる詩歌なきは之を以てにあらずや。
 今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突《たうとつ》より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心|自《おのづか》ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺ろさゞるもの稀なり。その本来の道義は薄弱にして、以て彼等を縛するに足らず、その新来の道義は根蔕《こんたい》を生ずるに至らず、以て彼等を制するに堪へず。その事業その社交、その会話その言語、悉《こと/″\》く移動の時代を証せざるものなし。斯の如くにして国民の精神は能《よ》くその発露者なる詩人を通じて、文字の上にあらはれ出でんや。
 国としての誇負《プライド》、いづくにかある。人種としての尊大、何《いづ》くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適《たまた》ま大声疾呼して、国を誇り民を負《たの》むものあれど、彼等は耳を閉ぢて之を聞かざるなり。彼等の中に一国としての共通の感情あらず。彼等の中に一民としての共有の花園あらず。彼等の中に一人種としての共同の意志あらず。晏逸《あんいつ》は彼等の宝なり、遊惰は彼等の糧《かて》なり。思想の如き、彼等は今日に於て渇望する所にあらざるなり。
 今の時代に創造的思想の欠乏せるは、思想家の罪にあらず、時代の罪なり。物質的革命に急なるの時、曷《いづく》んぞ高尚なる思弁に耳を傾くるの暇あらんや。曷んぞ幽美なる想像に耽るの暇あらんや。彼等は哲学を以て懶眠《らんみん》の具となせり、彼等は詩歌を以て消閑の器となせり。彼等が眼は舞台の華美にあらざれば奪ふこと能はず。彼等が耳は卑猥《ひわい》なる音楽にあらざれば娯楽せしむること能はず。彼等が脳膸は奇異を旨とする探偵小説にあらざれば以て慰藉《ゐしや》を与ふることなし。然らざれば大言壮語して、以て彼等の胆を破らざる可からず。然らざれば平凡なる真理と普通なる道義を繰返して、彼等の心を飽かしめざるべからず。彼等は詩歌なきの民なり。文字を求むれども、詩歌を求めざるなり。作詩家を求むれども、詩人を求めざるなり。
 汝詩人となれるものよ、汝詩人とならんとするものよ、この国民が強《し》ひて汝を探偵の作家とせんとするを怒る勿《なか》れ、この国民が汝によりて艶語を聞き、情話を聴かんとするを怪しむ勿れ、この国民が汝を雑誌店上の雑貨となさんとするを恨む勿れ、噫《あゝ》詩人よ、詩人たらんとするものよ、汝等は不幸にして今の時代に生れたり、汝の雄大なる舌は、陋小《ろうせう》なる箱庭の中にありて鳴らさゞるべからず。汝の運命はこの箱庭の中にありて能く講じ、能く歌ひ、能く罵り、能く笑ふに過ぎざるのみ。汝は須《すべか》らく十七文字を以て甘んずべし、能く軽口を言ひ、能く頓智を出すを以て満足すべし。汝は須らく三十一文字を以て甘んずべし、雪月花をくりかへすを以て満足すべし、にえきらぬ恋歌を歌ふを以て満足すべし。汝がドラマを歌ふは贅沢なり、汝が詩論をなすは愚癡なり、汝はある記者が言へる如く偽《いつ》はりの詩人なり、怪しき詩論家なり、汝を罵るもの斯く言へり、汝も亦た自から罵りて斯く言ふべし。
 汝を囲める現実は、汝を駆りて幽遠に迷はしむ。然れども汝は幽遠の事を語るべからず、汝の幽遠を語るは、寧ろ湯屋の番頭が裸躰を論ずるに如《し》かざればなり。汝の耳には兵隊の跫音《あしおと》を以て最上の音楽として満足すべし、汝の眼には芳年流の美人絵を以て最上の美術と認むべし、汝の口にはアンコロを以て
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