《とも》に樹《た》てり、何をか畏《おそ》れとせむ。
 遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。アルプス山の大欧文学に於ける、わが富嶽の大和民族の文学に於ける、淵源《えんげん》するところ、関聯するところ、豈《あに》寡《すくな》しとせんや。遠く望んで美人の如く、近く眺めて男子の如きは、そも我文学史の証《あか》しするところの姿にあらずや。アルプスの崇厳、或は之を欠かん、然れども富嶽の優美、何ぞ大に譲《ゆづ》るところあらん。われはこの観念を以て我文学を愛す。富嶽を以て女性の山とせば、我文学も恐らく女性文学なるべし。雪の衣を被《かつ》ぎ、白雲の頭巾《づきん》を冠りたる恒久の佳人、われはその玉容をたのしむ。
 尽きず朽ちざる詩神、風に乗り雲に御して東西を飄遊し玉へり。富嶽駿河の国に崛起《くつき》せしといふ朝、彼は幾億万里の天崕《てんがい》よりその山巓《さんてん》に急げり、而して富嶽の威容を愛するが故に、その殿居に駐《とゞ》まり棲《す》みて、遂に復《ま》た去らず。是より風流の道大に開け、人麿赤人より降《くだ》つて、西行芭蕉の徒、この詩神と逍遙するが為に、富嶽の周辺を往返して、形《けい》なく
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