、熱意は意味なき者に意味を加ふ。虚心は波瀾を抑へ、熱意は風濤《ふうたう》を生ず。諒解力は常に道理と伴はず。道理は能く人を制抑し、諒解力は能く人を興発す。夢と事実とは、其物の夢と事実とにあらず、之を夢とする者と之を事実とする者との別あるのみ。預言者の先見は夢の如くにして而して事実なる事あり、商売人の蓄財は事実の如くにして而して夢なる事あり。熱意は凡ての事に洗礼を施す者なり。熱意なきは活火なきなり。活火なきは意味なきなり。
意味多き生涯と、意味少なき生涯とは、プロビデンスの手に握れる斧の撃ち方の相異より生ずる差別なり。人間の額上に刻める皴波《しわなみ》は即ち、意味多きと意味少なきとを見分けべき字引の一種なり。
人生を解釈せんとする者は詩人なり、而して、詩人の、尤も留意するところは、意味[#「意味」に傍点]の一字にあり。熱意は即ち意味なり。全く熱意なくして意味ある者あらず。意味を生ずるものは熱意なり。人生に意味あるは即ち熱意あるが故なり。熱意あるが故に、執着あり。執着あるが故に、困難あり、又た不幸あり。悲哀なる出し物に対して、悲哀の同感を生ずるは、彼方の熱意が此方の熱意を誘発すればなり。熱意はトラゼヂーの要素にして、而して、悲哀の物に対する快感の要素の一なり。人生に熱意あるは、即ち戯曲にトラゼヂーある所以なり。熱意、之れ詩人が討究すべき一題目ならずや。
[#地から2字上げ](明治二十六年六月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「評論 六號」女學雜誌社
1893(明治26)年6月17日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年3月30日作成
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