間の根本の生命の絃に触れたる者にあらざるなり。謂《い》ふ所の勧善懲悪なるものも、斯る者が善なり、斯るものが悪なりと定めて、之に対する勧懲を加へんとしたる者にして、未だ以て真正の勧懲なりと云ふ可からず。真正の勧懲は心の経験の上に立たざるべからず、即ち|内部の生命《インナーライフ》の上に立たざるべからず、故に内部の生命を認めざる勧懲主義は、到底真正の勧懲なりと云ふべからざるなり。彼等は世道人心を説けり、為《な》すあるが為めに文を草すべきを説けり、世を益するが為めに文を草すべきを説けり、然れども彼等の世道人心主義も、到底偏狭なるポジチビズムの誤謬を免かれざりしなり、未だ根本の生命を知らずして、世道人心を益するの正鵠《せいこく》を得るものあらず。要するに彼等の誤謬は、人間の根本の生命を認めざりしに因するものなり、読者よ、吾人が五十年[#「五十年」に傍点]の人生に重きを置かずして、人間の根本の生命を尋ぬるを責むる勿《なか》れ、読者よ、吾人が眼に見うる的《てき》の事業に心を注がずして、人間の根本の生命を暗索するものを重んぜんとするを責むる勿れ、読者よ、吾人の中に或は唯心的に傾き、或は万有的に傾むく
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