自然の陶汰を以て自然の進化を経べきなり、吾人の関する所|爰《こゝ》にあらず、生命と不生命、之れ即ち東西思想の大衝突なり。
 つら/\明治世界の思想界に於て、新領地を開拓したる耶教一派の先輩の事業の跡を尋ぬるに、宗教上の言葉にて、謂ふ所の生命の木[#「生命の木」に傍点]なるものを人間の心の中に植ゑ付けたる外に、彼等は何の事業をか成さんや。洋服を着用し、高帽子を冠ることは思想界の人を労せずして、自然に之を為すなり。凡《およ》そ外部の文明を補益することは、何ぞ思想界の達士を煩《わづら》はすことを要せんや。外部の文明は内部の文明の反影なり、而して東西二大文明の要素は、生命を教ふるの宗教あると、生命を教ふる宗教なきとの差異あるのみ。優勝劣敗の由つて起るところ、茲《こゝ》に存せずんばあらざるなり。平民的道徳の率先者も、社会改良の先覚者も、政治的自由の唱道者も、誰か斯民に生命を教ふる者ならざらんや、誰れか斯民に明日あるを知らしむる者にあらざらんや。誰か斯民に数々《さく/\》※[#「戚/心」、第4水準2−12−68]々《せき/\》として今日にのみ之れ控捉せらるゝを警醒するものにあらざらんや。宗教として
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