ざる理想家もあらん、然れども吾人は各種の理想家の中に就きて、斯の如きインスピレーシヨンを受けたる者を以て最醇最粋のものと信ぜんとするなり。インスピレーシヨンとは何ぞ、必らずしも宗教上の意味にて之を言ふにあらざるなり、一の宗教(組織として)あらざるもインスピレーシヨンは之あるなり。一の哲学なきもインスピレーシヨンは之あるなり、畢竟《ひつきやう》するにインスピレーシヨンとは宇宙の精神即ち神なるものよりして、人間の精神即ち内部の生命なるものに対する一種の感応に過ぎざるなり。吾人の之を感ずるは、電気の感応を感ずるが如きなり、斯の感応あらずして、曷《いづく》んぞ純聖なる理想家あらんや。
この感応は人間の内部の生命を再造する者なり、この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再造する者なり。この感応によりて瞬時の間、人間の眼光はセンシユアル・ウオルドを離るゝなり、吾人が肉を離れ、実を忘れ、と言ひたるもの之に外ならざるなり、然れども夜遊病患者の如く「我」を忘れて立出《たちいづ》るものにはあらざるなり、何処までも生命の眼を以て、超自然のものを観るなり。再造せられたる生命の眼を以て。
再造せられたる生
前へ
次へ
全16ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング