セ》しく留意すべきにあらず、然も徳川氏三百年を流るゝ地底の大江我が眼前に横たはる時、我は是を観察するを楽しむ、誰れか知らむ、徳川氏時代に流れたる地下の大江は、明治の政治的革新にてしがらみ留《と》むべきものにあらざるを。
 我が観察せんと欲する大江は、其上流に於ては一線なりしかども、末に至りて二派を為せり。而して其湿ほすところはナイル河の埃及《エヂプト》に於けるが如くに、我邦の平民社界を覆へり。
 われ常に惟《おも》へらく、至粋《しすゐ》は極致の翼にして、天地に充満する一種の精気なり。唯だ至粋を嚮《むか》へて之を或境地に箝《は》むるは人間の業にして、時代なる者は常に其の択取《たくしゆ》したる至粋を歴史の明鏡に写し出すなり。至粋は自《おのづか》ら落つるところを撰まず、三保の松原に羽衣を脱ぎたる天人は漁郎の為に天衣を惜みたりしも、なほ駿河遊びの舞の曲を世に伝へけり。彼は撰まず、然れども彼の降《くだ》りて世に入るや、塵芥《ぢんかい》の委積《ゐせき》するところを好まざるなり。否、塵芥は至粋を駐《とゞ》むるの権《ちから》なきなり、漁郎天人の至美を悟らずして、徒《いたづ》らに天衣の燦爛《さんらん》た
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