A我が平民社界に起りしシバルリイは、其ゼントルマンシップに於て既に女性を遊戯的|玩弄物《ぐわんろうぶつ》になし了りたれば、恋愛なるもの甚だ価直《かち》なく、女性のレデイシップをゼントルマンシップの裡面に涵養するかはりに、却《かへ》つて女性をして男性の為すところを学ばしめて、一種の女侠なるものを重んずるに至れり、この点に於て我がシバルリイは、彼のシバルリイの如く重味あること能はず、我が紳士風は、彼の紳士風の如く優美の気韻を禀《う》くること能はず、女性の天真を殺して、自らの天真をも自損せり。彼のシバルリイは「我《エゴー》」を重んじて、軽々しく死し軽々しく生きず、我がシバルリイは生命を先づ献じて、然る後にシバルリイを成さんとするものゝ如かりし、己れの品性は磨《みが》くこと多からずして、他の儀式礼法多き武門に対敵して、反動的に放縦素朴に走りたり。宗教及び道徳は彼のシバルリイに欠くべからざる要素なりしに、我が平民のシバルリイは寧ろ当時の道徳組織を斥《しり》ぞけ、宗教には縁《ちなみ》薄きものにてありし。要するにチヨーサーのシバルリイ(即ち英国の)は我がシバルリイの如く暗憺たる時代に産《うま》れたる
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