ン》ち骨|剛《かた》きものすら多くは「時」の潮流に巻かれて、五十年の星霜|急箭《きふせん》の飛ぶが如くに過ぐ。
然れども社界の裡面には常に愀々《しう/\》の声あり、不遇の不平となり、薄命の歎声となり、憤懣心の慨辞となりて、噴火口端の地底より異様の響の聞ゆる如くに、吾人の耳朶《じだ》を襲ふを聴く。まことや人間社界ありてより以来、ヂスコンテンションと呼べる黒雲の天の一方にかゝらぬ時はあらざるなり。
凡《およ》そ社界の組織、封建制度ほど不権衡なるものはあらず、而して徳川氏の封建制度極めて完成したるものなりし事を知らば、社界の一方にヂスコンテンションの黒雲も亦た彼の如くに広大なりしものあらざりしを見るべし。その不平の黒雲の尤も多く宿るところは、尤も深く人間の霊性を備へたる高尚なる平民の上にあり。阿諛佞弁《あゆねいべん》をもて長上に拝服するは小人の極めて為し易きところにして、高潔なる性格ある者に取りて極めて難しとするところなり。もし今よりして当時の平民の心裡の実情を描けば、あはれ彼等は蠖蟄《くわくちつ》の苦を甘んずるにあらざれば、放縦豪蕩にして以て一生を韜晦《たうくわい》し去るより外《ほか》はなかりしなり。一種の虚無思想、彼等の心性上に広大なる城郭を造りて、彼等をして己れの霊活なる高尚の趣味を自殺せしめ、希望なく生命なき理想境に陥歿し入らしめたり。
天知子、其の平生深く自信する精神的義侠の霊骨を其鋭利なる筆尖《ひつせん》に迸《ほとば》しらしめて曰く、社界の不平均を整ふる非常手腕として侠客なるものは自然に世に出でたるなりと、又《ま》た曰く、反動激発せる火花の如きものは侠客の性なりと。天知君の侠客論精緻を極めたれば、我が為めに其の性質を論評すべき余地を余さず、我は唯だ我が分に甘んじて、文学的に、徳川氏時代に平民者流の理想となりし侠と粋とが如何《いか》なる者なるべきやを、観察するの栄を得む。
わが徳川時代平民の理想を査察せんとするは、我邦《わがくに》の生命を知らんとの切望あればなり。山沢を漫渉《まんせふ》して、渓澗《けいかん》の炎暑の候にも涸《か》れざるを見る時に、我は地底の水脈の苟且《ゆるかせ》にすべからざるを思ふ、社界の外面に顕はれたる思想上の現象に注ぐ眼光は、須《すべか》らく地下に鑿下《さくか》して幾多の土層以下に流るゝ大江を徹視せん事を要す、徳川氏の興亡は甚《はなは
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