雄中の英雄なる基督に至りては堅く万民の相戦ふを禁じたり。凡《すべ》て人を詛《のろ》ふの念を誡《いま》しめ、己れを詛ふ者を愛するをもて天国の極意とせり。是れを、極めて簡にして而して極めて大なる理想と言はざらめや。人|若《も》し我が右の頬を※[#「てへん+區」、第4水準2−13−44]《う》たば、左の頬をも向けて※[#「てへん+區」、第4水準2−13−44]たしめよとは、豈《あに》天地を円《まろ》うする最大秘訣にあらずや。

     蝸牛角上の傲児

 世は挙げて彼等を欽慕す。歴山《れきざん》王、拿翁《なをう》、シイザル、之を英雄と称し豪傑と呼ぶ、英雄は即ち英雄、豪傑は即ち豪傑、然れども胸中の理想に立入りて之を分析すれば、片々たる蝸牛角上の傲児のみ。

     人を殺して泣かざる者

 一蟻螻《ひとつのあり》を害す、なほ釈氏は憐れみに堪《た》えざりし、一人を殺す、如何《いか》ばかりの罪に当らむ。況《いは》んや百万の衆生を残害するをや。人を殺して法律上に罪を得ざるものは余の知るところにあらず、人を殺して泣かざる者あらば、余が鞭、之に加へざらんと欲するも得ず。

     平和主義と「八犬
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