にする所以、茲《こゝ》に起因するところ少しとせず。
 少時、劇に誘はれて大江山の鬼を観たりし事あり、三尺の童子たりし時にすら畏怖の念よりも寧ろ嘲笑の念を抱きたりしを記憶す、而して大江山の鬼は土蜘蛛《つちぐも》等と共に中古の鬼物なり、是を彼のバツグビーア、ウイツチなどに比較せばいかに、その妖魅力《えうみりよく》の差違いかに遠きかは一見して知るべし。妖魅力を鬼物自らに属するものとするは我鬼神の思想なり、妖魅力をセタンより授けられたるものとするは一魔教の思想なり、一魔教(仮に此語を作りて)の魔業は天地を包める事、前にも言ひたり、我国の妖魅力は一勇者渡辺綱にも、頼光にも制伏せらるゝ程の微力なり、九尾狐《きうびのきつね》の妖力を以ても那須与一の一箭に斃れたり、要するに我国文学上の妖魅力は人威に勝つこと能はざるものなり、是れも亦た我邦に他界に対する観念の乏しきを証するに足れり。
「死てふ眠の中にいかなる夢をや見るらむ。」と歌ひたる詩家は泰西にあれども、「死んで仕舞へば真くらやみ。」と説いたる小説家は日本にあり。死は眠なり、と言ふと、死は終なりと言ふと、思想の上に莫大の差違あり、一はエターニチイの基督教的思想より来り、一は無常迅速の仏教思想より来れり。
[#ここから2字下げ]
But that the dread of something after death,――
The undiscover'd country, from whose bourn
No traveller returns,―― puzzles the will,
[#ここで字下げ終わり]
の如きに至りては、到底彼国の観念に見るを得べくして我想界に求むる事を得ず。是も亦た我文学に他界に対する観念の欠乏せるを告ぐるものなり。
 忍月居士|嘗《かつ》て外来物を論じて、詩人が外来物の補助を借り方便にすべき事を言ひたる事ありしが、他界に対する観念は補助又は方便にすと言ふが如き卑下なる者にあらず。恰《あたか》も潜者の水底に沈みて真珠を拾ふが如く自然界の奥に闖入《ちんにふ》し、冥想を以て他界の物を攫取《くわくしゆ》し来るを以て詩人の尊む可きところとはするなり。居士が外来物を方便にする一例として篁村氏の「良夜」を引きたるが如きは、尤も我心を得ず。さはあれ是も亦た我国文学に他界に対する観念の乏しきを証するに足るなり。
 禅学は北条氏以後の思想を支配し、儒学は徳川氏以後の思想を支配したる事は史家の承諾する事実なるが、この二者も亦た他界に対する観念の大敵なり、禅は心を法として想像を閉ぢ、儒は実際的思想を尊んで他界の美醜を想せず、この二者の日本文学に於ける関係は一朝一夕に論ずべきものにあらずと雖、その他界に対する観念に不利なりし事は明瞭なる事実なり。
 我文学の他界に対する観念に乏しきことは、概《おほむね》前述の如し。写実派と理想派との区別漸く立たんとする今日の文壇に、理想詩人の、万人に願求せられながら出現することの晩《おそ》きも、強《あなが》ち怪しむに足らじと思はるゝなり。
 ギヨオテの想児フオウストと共に
[#ここから2字下げ]
Oh! if indeed Spirits be in the air,
Moving 'twixt heaven and earth with lordly wings,
Come from your golden“incense−breathing”sphere,
Waft me to new and varied life away.
[#ここで字下げ終わり]
と絶叫する理想詩人、遂に我文壇に待つべきや否や。疑はしと言ふべし。
[#地から2字上げ](明治二十五年十月)



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「國民之友 一六九號〜一七〇號」民友社
   1892(明治25)年10月13日、23日
※「シヱークスピア」と「シヱーキスピーア」の混在は底本通りです。
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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