りきた》り、自由自在にネゲイシヨンの毒薬を働かせ、風雷の如き自然力を縦《ほしいまゝ》にする鬼神を使役して、アルプス山に玄妙なる想像を構へたるもの、何ぞ理学の盛ならざりし時代の詩人に異ならむ、その異なるところを尋ぬれば、古代鬼神と近世鬼神との別あるのみ。詩の世界は人間界の実象のみの占領すべきものにあらず、昼を前にし夜を後にし、天を上にし地を下にする無辺無量無方の娑婆《しやば》は、即ち詩の世界なり、その中に遍満するものを日月星辰の見るべきものゝみにあらずとするは、自然の憶度《おくど》なり。生死[#「生死」に白丸傍点]は人の疑ふところ、霊魂[#「霊魂」に白丸傍点]は人の惑ふところ、この疑惑を以て三千世界に対する憶度に加ふれば、自からにして他界を観念せずんばあらず。地獄を説き天堂を談ずるは、小乗的宗教家の癡夢《ちむ》とのみ思ふなかれ、詩想の上に於て地獄と天堂に対する観念ほど緊要なるものはあらざるなり。
新教勃興後の基督《キリスト》教国は一般に新活気を文学に加へたり、其然る所以《ゆゑん》のものは基督のみ是を致せしにあらず、悪魔も与《あづか》りて力あるなり、言を換へて云へば、聖善なる天力《ヘブンリー・パワー》に対する観念も、邪悪なる魔力《サタニツク・パワー》も共に人間の観念の区域を拡開したるものにして、一あつて他なかるべからず、基督の神性は東洋の唯心的思想が達せしむる能はざるところに観念を及さしむると共に、サタンの魔性は東洋の悪鬼思想の到らざるところまで観念を達せしむ。一神教の裡面《りめん》は一魔教なり、多神教の裡面は即ち多鬼教なり、一神教には中心の権あるが故に中心の善美あり、是と同時に一魔教にも中心の統御あるが故に中心の毒悪あり、一のポジチーブに対して一のネガチーブあり、多のポジチーブに対して多のネガチーブあるは当然の理なり。斯《かく》の如くなるが故に、欧洲諸国に行はるゝ詩想は日本に求むべからず、善美なるものに対する観念も醜悪なるものに対する観念も、中心を有せず焦点を有せざるが故に、遠大高深なる鬼神を詩想中に産み出す事を得ざるなり。
漫然語を為《な》すものあり、曰く、我国にも幽玄高妙なる想詩を構ふるに足るべき古神学あるにあらずやと。余を以て是を見れば、我国の古神学は或は俗を喜ばすべき奇異譚を編むには好材料たるべきも、到底|所謂《いはゆる》幽玄《ミステリー》を本とする想詩を構ふるに適するものならず。其第一の理由は、到底今日を以て往古の古神学を用ふる事能はざること是なり、即ち古神の詩歌に入るは少くも古神に対する信仰ある時代にあらざれば不可なり、「フオウスト」を構へたるギヨオテは近世の鬼神を中古の物語に応用したるなり、古代の鬼神を近代の物語に箝《は》めて玄妙なる識想を愬《うつた》へんとするは、到底為すべからざる事なり。再言すれば我国の古神は既に文学上に於て死神なり、いかなるジニヤスの力を以ても復活せしむべからざればなり。其第二の理由は、我国の古神は霊躰にあらずして人間なること是なり、出没自在の神通力あるにあらず、宇宙万有を統治するものにあらず、報罰の全権を掌握するものにあらず、其天界に領有するところ多からず、ジニヤスの力ありとも是を仮用するに道なからむ。第三の理由は、其複数なること是なり、前に言ひたる事あれば重ねて説かず。斯の如く我邦《わがくに》の文学は古神学に恵まるゝところ極めて少なし。
仏教侵来以後の日本は、他界に対する観念の発達大に著るしきを示せり。然れども想像的鬼神の輸入あると共に一方に於ては、万葉時代に行はれたる単純なる、「自然力」に対する恐怖を、其心外無法の斧を以て破砕したり。精霊の思想は以て幽霊の新題目を文学に加ふるところありしと雖、一方に於ては輪転あり、無常あり、寂滅あり、以て人間の思慕を截断《せつだん》し、幽奥なる観念を遮《さへぎ》るに足りしなり。仏教文学の精粋と呼ばれたる謡曲の中に極めて普通なる幽霊の思想は、人間の喜怒哀楽等の情意に動かされて浮き出るものにして、人間を其儘なり、彼の O, all you host of heaven! と冒頭に書出して、幽霊と他界の悪霊と協合したるものゝ如くに見《あら》はす者に比す可きにあらず、況《いは》んや狂公子のみに見えて其母には見えざる如き妙味に至りては、到底わが東洋思想の企及する所にあらざるなり。母にのみ見えて公子に見えざる一事は、我が戯曲の中にも其例を得るに難からず、然れども怨恨《ゑんこん》する目的物に見えずして狂公子にのみ見ゆるは、其倫を我文学に求むるを得ず。天界と地界と所を異にするが故に、容易に其形を現ずること能はざるは沙翁の幽霊なり、其現ずるは主観的|願欲《デザイア》を以て現ずるにあらず、客観的|圧抑《プレツシユア》によつて現ず、自由の意志を以て現ずるにあらず、自然の
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