構ふるに適するものならず。其第一の理由は、到底今日を以て往古の古神学を用ふる事能はざること是なり、即ち古神の詩歌に入るは少くも古神に対する信仰ある時代にあらざれば不可なり、「フオウスト」を構へたるギヨオテは近世の鬼神を中古の物語に応用したるなり、古代の鬼神を近代の物語に箝《は》めて玄妙なる識想を愬《うつた》へんとするは、到底為すべからざる事なり。再言すれば我国の古神は既に文学上に於て死神なり、いかなるジニヤスの力を以ても復活せしむべからざればなり。其第二の理由は、我国の古神は霊躰にあらずして人間なること是なり、出没自在の神通力あるにあらず、宇宙万有を統治するものにあらず、報罰の全権を掌握するものにあらず、其天界に領有するところ多からず、ジニヤスの力ありとも是を仮用するに道なからむ。第三の理由は、其複数なること是なり、前に言ひたる事あれば重ねて説かず。斯の如く我邦《わがくに》の文学は古神学に恵まるゝところ極めて少なし。
仏教侵来以後の日本は、他界に対する観念の発達大に著るしきを示せり。然れども想像的鬼神の輸入あると共に一方に於ては、万葉時代に行はれたる単純なる、「自然力」に対する恐怖を、其心外無法の斧を以て破砕したり。精霊の思想は以て幽霊の新題目を文学に加ふるところありしと雖、一方に於ては輪転あり、無常あり、寂滅あり、以て人間の思慕を截断《せつだん》し、幽奥なる観念を遮《さへぎ》るに足りしなり。仏教文学の精粋と呼ばれたる謡曲の中に極めて普通なる幽霊の思想は、人間の喜怒哀楽等の情意に動かされて浮き出るものにして、人間を其儘なり、彼の O, all you host of heaven! と冒頭に書出して、幽霊と他界の悪霊と協合したるものゝ如くに見《あら》はす者に比す可きにあらず、況《いは》んや狂公子のみに見えて其母には見えざる如き妙味に至りては、到底わが東洋思想の企及する所にあらざるなり。母にのみ見えて公子に見えざる一事は、我が戯曲の中にも其例を得るに難からず、然れども怨恨《ゑんこん》する目的物に見えずして狂公子にのみ見ゆるは、其倫を我文学に求むるを得ず。天界と地界と所を異にするが故に、容易に其形を現ずること能はざるは沙翁の幽霊なり、其現ずるは主観的|願欲《デザイア》を以て現ずるにあらず、客観的|圧抑《プレツシユア》によつて現ず、自由の意志を以て現ずるにあらず、自然の
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング